私が恋した男〜海男と都会男~
「お先に失礼します」
「おう」

 鞄を持って編集部を出て階段を降りながら、さっきの姫川編集長の帰れという言葉が頭に復唱される。

 そりゃあ残業続きで原稿を同時進行をしているからミスをすると大変なことになるのは分かるし、分かっているけれど、もう少しやらせてもらいたかったな。

 階段を下りてロビーに差し掛かると、水瀬編集長とばったり会った。

「お疲れ様です」
「九条は上がり?」
「…………はい」
「あのさ、そこのソファーで少し話す?」
「はい」

 私が力なく返事をしたのを見た水瀬編集長は、ロビーにあるソファを指をさした。

 水瀬編集長の下で働いていた時も親身に悩みを聞いてくれてアドバイスをしてくれたから、その優しさが今の私には身にしみてきて、私たちはそれぞれソファに座った。

「原稿は順調?」
「季刊との同時進行なので、順調とは言えないです」
「ファッション部は人数が多いけど、タウン情報部は2人しかいないからね。疲れたりするから、無理は禁物だよ」
「姫川編集長も似たようなことを仰ってました。ミスるから帰れ、上司命令だって」
「こりゃあまた、きついね」
「はい……」

 水瀬編集長は苦笑いして、私もつられて苦笑する。

「姫川はきついけど正しいし、九条もそれは分かっているんでしょ?」
「はい、頭では分かっていますけど…、中途半端な感じで終わっちゃって。最後までやりたかったです」

 本当なら姫川編集長に最後まで続けさせてくれって言えた筈なのに、もう少し食い下がっていけばよかったかな。
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