桜まち 


去年の四月。
初々しいスーツ姿でうちの部署にやってきた藤本櫂君に、何を血迷ったのか部長が私を彼の教育係に任命した。
大卒で何もかもが初めての彼に、私は仕事の基本を丁寧かつクソ真面目に教えていたのだけれど、気がつけばこっちがなんだか指導されることがあったりして。
あれれ?
という間に、立場が逆転。
今では、間違いを正されていることがよくあったりする……。

そんな私たちを、教育係に当てた当の部長は、漫才コンビのようでおもしろいと笑っているしまつ。

いいのか、それで。

もしかしたら私の給与明細には、漫才手当てなるものがついているかもしれない。
今度よく見てみよう。

「あ、そうだ。菜穂子さんのところ、部屋の空きないですか?」

櫂君は、つまみを口にしながら訊ねる。
その口の動きを眺めながら、どうだったかな? と思考をめぐらせた。

櫂君のいう部屋の空きとは、私が住むマンション内にどこか空き部屋がないかということなのだ。
それにしても。

「なんで?」
「気分転換に引越ししようかと思ってるんですよ。今住んでるところ、駅までちょっと遠いんですよねぇ」

「ふ~ん。今度、お祖母ちゃんに訊いてみるよ」
「あざーす」

快く返事をすると、櫂君はとても嬉しそうに頬を緩めて、もう一杯ビールを注文した。


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