クラッシュ・ラブ

「弟って……この前言ってた弟は」
「あ、の、二人。弟……いるんで……」


わたしの両手を掴んだままの状態で、センセが項垂れて「はー」と大きく息を吐いた。


「……あー、ゴメン。今の、ナシ」


「ナシ」って言われても……。
こんな、縫いつけられるように手を拘束されて、跨がれるように覆いかぶされたのなんて初めてだから。
――ナシになんて、出来るわけない。

自分の心臓の音が、耳に響く。
手に汗を握る。身体が、熱い。

心が、はちきれそう――。


垂れた前髪から覗くユキセンセの伏せられた目が、愛おしい。
でも、こういうときに、手を伸ばして触れていいのかが、わからない。


「……行く」


ユキセンセは、わたしの胸の上でボソリと呟いた。
そしてガバッと起き上がり、ソファに横になってたわたしも慌てて起きる。
すたすたと玄関へ行ってしまうユキセンセの背中を、なんとなく追い掛けてしまう。


「あっあの……」


くるりと半身だけ振り向いたユキセンセは、バツが悪そうな顔をして、真っ直ぐとわたしを見なかった。
わたしだって、こんなことになったことないから、どんな顔してどんな言葉を掛ければいいのかわかんない。


「……曲がっちゃってます」


それ以外、結局なにも言えないから、曲がったネクタイを直すしかなかった。
すると、スルッとネクタイがわたしの手中から滑り落ち、次の瞬間には、エンジ色が視界からなくなった。

この感触、まだ、憶えてる。――ていうか、忘れられない。
耳の横から差し込まれた手と、重なる唇。

目を閉じることを忘れていると、その柔らかな唇が離れていった。

そろり、と視線を上げると、照れくさそうな顔をしたユキセンセが言う。


「……帰るまで、待てる?」


さっきも思ったことだけど。
『充電させて』とか『待てる?』とか、好きな人に言われたら、断ることなんか出来やしない。

もし、それをわかってて言ってるのなら、わたしは彼に敵うはずがない。

戸惑いながら、ただ一度。小さく頷くわたしを見ると、センセは頭に手をぽん、と置いて出掛けていった。

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