初恋ピエロット
宮に手を掴まれ振り向く。

「!」

恵が泣いていた。

あいつのせいで、小鳥遊慧愛と千原恵の区別さえもつかなくされていた。
静かに涙が頬を伝うその顔は今まで俺も見たことがない。
俺の前では十年間の間、一度も見せなかった顔だ。

「ごめん」

俺は静かにつぶやき、恵をそっと抱きしめる。
いつもだったらこれをした瞬間に、殴られるのに、今日は少し体がこわばっただけで逃げなかった。ただ、俺が体を全部受け止めた瞬間、その小さくぼろぼろの体は俺の手の中で糸が切れたように、その場に倒れてしまった。

まるで羽を失った小鳥のように、もう飛ぶことはできないかのようにゆっくりと目を閉じた。
閉じた目から一つの悲しみがこぼれ落ちた。

「恵!?おい!どうしたんだ!?」

もうわかっているくせにどうしても認めたくない。


―――――まさか、恵が、イルに、恋をしたなんて。


強く握り締めすぎた左拳から血が流れた。
俺は恵をソファに寝かせ、毛布をかけると、シャッターを開き外へ飛び出した。









小鳥遊慧愛と千原恵。
どちらが本当の“私”だったのか。どちらも本当の“私”だったのか。

わからない。

でも、そんなことにとらわれず私は彼に恋をした。
そして、彼にも恋をされていた。

でも、私の初恋は、一番かなってはいけないものだった。









「へえ。リーダー自ら何のようだ?」

イルは何もなかったかのようにいつもと変わらない。
あんなにも恵がこいつのことで苦しんでいるというのに。

「恵を、泣かせたな」

イルの表情に陰りが生まれる。
だが、戸惑ったのは一瞬でイルはすぐに元通りのポーカーフェイスに戻る。

「俺が、君たちのお姫様を泣かせたって!?面白いこと言うね。ひどいのは君だろ?」

イルは何か本当に面白いものを見ているかのように俺を見る。

「俺、だと?」

「ああ。君が、彼女を手放しにするから、捕まっちゃうんだ。」

「どういうことだ。イル」

「君の小さなお姫様は、今、どこにいる?」

「!」

忘れていた。
こいつが恵を殺そうとしていたことを。いや、こいつだけじゃない。恵を殺そうと、セレネを壊そうとしているのはほかにもたくさんいる。

なのに、俺は――――――恵を一人にしてしまった。






「こいつか?」

「ああ、そうらしい。珍しいな、あの小僧がいないなんて」

「イルのところにいるそうだ。これでセレネも終わりだな」

「イル、か。なかなかやるな、あいつも」

「恋人を差し出すんだからな」

「それにしても、可愛いお姫様じゃねぇか」

「ああ、惚れ惚れするぜ。ヤっちまうか?」

声が聞こえる。

「いや、駄目だ。まずは蓮さんに渡すんだから」

渡す?何を?

「くっそ、いいなぁ。蓮さんはよぉ」

「俺たちにも生きてるお姫様を見れる機会があっただけいいじゃねぇか。次は人形と同じだぜ」

「そうだな。じゃあ、そろそろ行くか」

「ああ、行こう」

開きかけた瞼を塞いだのは白い布だった。
靄がかかるように消えていく意識の中、考えたのは、やっぱりあの人のことだった。









「恵ーっ!恵!恵!」

宮の悲痛な叫び声が離れていても、聞こえる。
頬を伝うそれは、とめどなく溢れている。

「宮さん!危ないです、さがって!!!」

「落ち着いてください、リーダー!」

5人がかりでようやく押さえつけられている宮は、絶えず延々と燃え続ける倉庫に叫び続ける。あの中に、恵がいるそうだ。いや、小鳥遊がいるそうだ。

「落ち着いてられっかよ!!!こん中でまだ恵が俺を待ってんだよ!離せよ、てめぇら!!!!!」

俺が恵がここにいることを、他のグループに伝えて火をつけさせたのだ。
俺が、恵と小鳥遊を殺したんだ。俺は正しいことをしたんだ。
こうしないと、俺は裏切り者になってしまう。
裏世界で裏切り者になるということは、殺されるということ。

俺は、人を犠牲にしてまで生きようとする、悪魔だ。

「恵?いるんだろ、まだそこに!まだ何も気づかず眠ってるんだろ!?恵!」

うるさい。

「恵、ハルトの二の舞にはならないんじゃなかったのか!?」

ウルサイ。

「お前も、俺の前からいなくなるのかよ!!!」

ウルサイうるさいウルサイ。

「俺を置いていくなよ、恵ーっ!!!!!」

そう宮が叫んだ瞬間、倉庫が崩れた。
倉庫はあっけなく平面になり、その中にもう何もないことを証明した。
もう燃えるものもなくなったのだろうか。火がどんどん小さくなっていく。

気づけば雨が降っていた。
雨が強くなり、そこらじゅううるさくなる。

「う、わあああああぁぁああああぁ!!!!!」

雨の音ともに、宮が咆哮をあげる。
頬を雨と涙で濡らしながら。

俺は、空を見上げる。
どす黒い雲が葬式をするかのように重い。
俺の頬にも一筋の暖かい雫が落ちたとき、俺のケータイが手の中で震えた。

濡れることなど気にせず、メールを開く。

「・・・ふっ」

思わず笑いがこぼれた。
俺はその一言を読むとケータイを宮に投げた。
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