彼方の蒼
 けれどもそれは、未遂に終わった。

「倉井せんせーい! 夜分遅くにすみませーん!」

 ノックとチャイムとあとは……なんだ!?
「倉井せんせーい! 少しお話があるんですがー」
 ガチャガチャとドアノブを回す騒々しい男が、扉の向こうに確実にひとりいる!
「出ることないよ、先生」
 僕はすばやくささやき、抱きしめるように倉井先生を取り押さえた。
 や、どさくさにまぎれて抱きしめたんだけどさ。
 振りほどこうとする先生に、僕はさらに言った。
「なんなら僕が恋人の役をしてやろうか?」
 逆効果だった。  
 僕の腕から逃れた倉井先生は、ドアチェーンを外して、鍵とドアを開けた。
 僕が相手が誰なのか悟るより、向こうのほうが早かった。

「渡辺。君……こんなところにいたのか」
 保健の……ええ?
「石黒先生? 先生こそなにしてるんですか?」
「なにって……」

 僕は倉井先生と石黒の間にいた。
 石黒はそんな僕の頭を片手でぐいっと自分のほうに寄せた。
 力と上背が無駄にあるヤツだ。
 体育教師でもないくせに。
 僕と倉井先生は、リハーサルをしてあったみたいに、交互にうまく状況説明をした。

「僕が今ここに来たんです」
「もう少しで警察に連絡がいくところだったと、話しました」
「僕はもう驚いちゃって……そんな大げさにされても困るっていうのにさー」
「なに言っているんですか! みんなが心配していたっていうのに」
「だーってさー」

「——もういい」

 石黒は僕らの名演技を中断させ、僕ひとりを階下まで連行した。
 途中、僕は振り返り、そのまま見送ってくれていた倉井先生に声をかけた。
「せんせー。明日は絶対、学校来いよなー!」
 倉井先生はたぶん微笑んでくれた。
 ニコ笑いではなかった気がするけど、暗くてよくわからなかった。
 先生とつきあえたら、どんな笑顔なのか、すぐ間近で見られるのにな。
「わかりました。明日、学校で」
 きっぱりとした口調が、なかなかりりしくて、夜風の冷たさに勝っていた。
 僕の心はしばらく冷めそうにない。

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