印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1972年7月17日 いい天気。

ハイデルベルグでお嬢にふられて怖気づいたか、
やたらと日本人に会いたくなった。

あれだけ嫌がってたのに、情けねえ。ヤキまわったな。

さあ、ヒッチの続きだ。もうモーホおやじはやだよ。


アウトバーンで日本人男三人と合流しヒッチる。

「ミュンヘン」って書いたボール紙を胸の前に持って、
並んでるヒッチ列の先頭に立つ。

すぐアベックが停まったが、一人しか乗れねえ。

いいよ、赤井君お前行けよ。また会おうぜ。

俺と北大の鳴海君が残って交代でヒッチる。

・・・20分、停まった!

赤茶のワーゲン。カッコいいじゃん。

「いい天気だな、ウイーンまで行くよ」 

ウイーン! 英語しゃべるしモーホじゃなさそうだし、
よし北大、一緒に行こうぜ。


ミュンヘンは通らず、ニュールンベルグ経由だって。

そんで、飛ばす飛ばす。150kでビュンビュン。
クーラーなんかついてねえから、窓開けたまま。うっへー。

後ろの座席には、テント、ラジオ、缶詰と水。

「俺クラウスだ。ウイーンの友達のところへ行くんだ。
そこには日本人の友達も居るよ」

へえ。 いかにもドイツのあんちゃんって感じだな。

「スチューデントクラブの会員なんだ。旅行大好きよ」

片言の日本語もしゃべる25才クラウス。

クラウスって日本の太郎ちゃんって感じだってさ。へえ。
そういや、ジョンの友達もクラウスだったな、ベース弾き。

俺はロンドンに住んでて、これからギリシャ行くとこだよ。

「おおそうか、俺もギリシャ行ったことある。最高だよ。
是非、島へ行ったらいいぞ。 食いもんも旨い」 

そうかあ、やっぱり思ったとおりだ、ギリシャ最高じゃん。


夜9時、ドナウ川のオーストリー国境でパスチェック。

「この分じゃ。きょう中にウイーンは無理だな。
キャンプしようぜ。いい場所を知ってるよ。」 

いいねいいね。ヒッチのあんちゃんとキャンプとは最高だ。


ド田舎の小さい町に入った。 いい感じ、いい風。 

パブでパン食ってスープ飲んで、キャンプ場に行く。

デッキチェアーに座って日記を書く。

星、風、小川の音、虫の声、 まるで映画のセットだぜ。

クラウスのテントと北大のテントを車の後に付けて、
即席のベッドにして、流れ星を見ながら寝た。



翌朝、顔洗いに炊事場に行く。 

きーっ!水が冷てえ! 井戸水でもねえのに、ものすげえ。

顔洗って体拭いてテントたたんで出発。


途中、スタンドでコーヒー飲んでパン買って、20ドル両替。
 
オーストリーシリングは小さい。マルクのコインの半分だ。

さあ、出発。 うん、いい天気だ。

 
クラウスが運転しながら叫ぶ「大和 陸奥 武蔵」

俺も知らねえような戦艦の名前を、いくつも挙げる。
相当な日本好きだな。 

上半身裸で150kですっとばす。


午後2時、ウイーン着。we win Wien俺のしゃれ大受け。ひっひ。

クラウスはユースまで送ってくれたが、2か所とも満員。

いいよ、どっかネグラさがすよ。天気いいし野宿もOKだ。

クラウスとはここでお別れ。 ほんと世話んなった、ありがと。
 

北大と近くのキャンプ場行って、きょうも野宿に決めた。

3日ぶりにパンツとシャツ洗って、シャワー。

晩飯は北大の作ったイモスパゲティーとみそ汁。
星を見ながら食う。う~ん旨い、最高だぜ。

 
翌日、キャンプ料24シリング払って出発。

市電に乗ってウイーンの町へ出る。

静かでいい街だ。古くて質素で石畳。
人はすげえ親切。 あんだけドイツにいじめられたのにな。

アテネ行きの切符探しに、ジャーマントラベルへ行く。
 
太ったおやじとねえちゃんが電話番してる。


おねえちゃん、アテネまで行きたいんだ。安いのある?

おやじが紙に30って書いて見せる。

なんだよ、おねえちゃんに聞いてんだぞ。 ま、いいか。

アテネまでひとり30USドルだ。情報じゃあ35だけど、
お前のと2枚買って、まけさすか。

情報より安くたって、さらに粘ってまけさせる。ヒッピー根性。

北大が、日本の戸籍謄本を見せてねばる。

「これは天皇陛下が書いたすごい証明書だ。どうだ!
俺の兄貴は政府高官だ」 

おやじ、ニタッ。

「OK、一人25ドル590シリングだ」

ま、いいだろ。少しでも安くなった、うっしっし。

北大さ、IDカードくらい持ってろよ。金出しゃあ買えるぜ。



列車は今夜10時20分発。じゃ、散歩すっか。

ベートーベンの生家見て、公園で絵葉書書いて日記書く。



石畳の道に観光用馬車が走る。ゲーテもいい天気で上機嫌。

目の前のベンチにおばさん四人組が来て座った。
そんで、地味そうなのが話かけてきた。

「コリアーナか?」 ちがうよ、ヤパンだ。

「ほんと? 顔が黒いじゃない。いくつなの?」

ヒマでブラブラしてるなおばさんは、公園にうようよ居るが、
英語で話しかけたのは初めてだ。

「今夜どこに寝るのさ」 

ここだよ、って足元の芝生を指さした。

おばさん大笑い。・・・でも段々顔が強張ってきて、

「それは恐ろしいわ、あなた。それはだめよ」
って言いながら、20シリング紙幣を出した。

なんだ冗談だよ。ヘヘ、おばさん、俺等は大丈夫だよ。

金を返そうとすると受け取らねえ。

よしわかった。ありがたくもらっとくよ。 
お礼にさ、これ作ってやるよ。

五円玉にひも通して、首飾り。

これはさ、幸せになれるお守り、ネックレスだ。

これは東海道五十三次って、ラッキーシールだ。

おばさん四人組、五円玉ネックレスをみんなで回して、
はしゃいでる。女学生みてえだ、ヒヒ。

そんで、握手しようって。 よっしゃ。

男よりでかい手、目は苦労した優しそうな目。

じゃ、ありがとさん。みんな達者でね、さよなら。



しかしドイツ語ってやつ。ウイーンもドイツ語だ。
イッヒフンバルトデルウンチ!ってやつ。結構堅い。
 
まあ元は英語も同じようなもんだから、よ~く聞くと、
単語だけは英語に置き換えられる。

俺等ヒッチハイカーは、共通は地名も英語読み。
 
ドイツ語の地名を英語読みでなんて言うのか教わった。

ミュンヘンは英語じゃミュニック。

でも、ドイツ人にミュンヘンじゃ通じねえ。
どっちかっていやあ、ミュッケンに近いか。
どっちにしたってカタカナじゃ無理。

ケルンはコーン、ハンブルグはハンバーグ。
でもシュツッツガルトとなるとアメ公もお手上げだった。
シャツティーシティーだって。
なーんだ、奴等も読めねえんじゃん。ぐへへ。

結局、通じねえ時は地図見せる。 これが一番正確。

ヴィエナはジョンとヨーコのバラードで覚えたが、
チューリッヒがズーリックとは知らなかった。
アテネはエイセン。 ベンキョウになりました。へへ


夜10時20分。 
ウイーン南駅からアテネ行き列車に乗り込んだ。

俺等日本人2人のほかに、デンマークの男ユーリと、 
オーストリー女カレンが同じコンパートメントになった。
 
そのデニッシュ野郎が、ユーゴの国境で強制的に降ろされた。
どしたんだ? 真面目そうに見えたけど。

「パスポート不完全」だって。 そんな野郎がいるんだ。
 
夜中に何回もチケットとパスポートチェック。
あのロシアを思い出していや~な気分。

蒸し暑いし兵隊は横柄だし、言葉通じねえし。

ウイーンで買った缶詰とパン食って、そろそろ着くか、
と思ったら甘かった。

全員が勘違い。1晩じゃねえ、もう1晩乗るんだ。ぐえー。 

41時間だ。ぶええーたまんねえ。この暑い汽車で・・。
 
ギリシャ着いたら、泳ぎまくってやるぞーあ~あ。

オーストリー女のカレンはテサロニキで降りた。 

自由労働とかボランティアとかキブツだとか、のたまわって。
もっとちから抜いてやれよ。 可愛い顔してゴタクはだめだ。
 

さあ、アテネまであと半日かよ、長えなあ。

寝るか・・・。





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