印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1972年3月27日 夕方6時 モスクワ空港着。

寒い。 でもそれなりの空港、まあまあ都会だ。

そんで、また始まった。 

「ここに並べ!チケット出せ、パスポート見せろ!」

おい、なにしてんだ、ラジカセ取り出してウンウンて。
触るんじゃねえ! それはラ・ジ・カ・セっていうの。

ラジオが聞けてテープに録音できんの、最新型だぞ。
没収でもしやがったら、日本の首相に電話すんぞ。 

バッグに戻しやがった。いい加減にしろ、クソ税関め。


バスでホテルまで1時間。 舗装道路だが信号も無い。

家もねえし、雪だけ。街なのか要塞なのか、生活臭全く無し。


着いた。メトロポールホテル。 すげえ立派、でも薄暗い。

パツキンのフロントは、スタイル抜群、目は青く、顔真っ白。
ニコリともしねえで、ロスケ英語できっぱり言い放った。

「今日の晩飯は出ない」 

ああそうかよ、いらねえよ。

そんで、一番隅っこの、一番安い部屋に押しこまれた。
やーれやれだ。 やっと、揺れない場所で荷物を降ろした。

皆、放心状態で動かない。疲れ果ててる。

しかしこの便所はなんだ、6畳はある、泊まれるぞ。
紙は、細長くて茶色で新聞紙より固い。

おまけに、ケツ拭いた紙を流すな? ばかじゃねえか。 
日本の紙持ってきてよかった。

風呂桶は細くて長くて、まるで棺桶。 こりゃ溺れるわ。
向こうのありゃ何だ? 噴水か? 
便所に水飲み・・・あっ、これがビデってやつか、へへ。


お茶飲む?って、自転車で世界一周のあんちゃん。

おお、いいね。 キャンプ用具一式持ってて、気前もいい奴。

飯盒に洗面所の水を入れ、バーナーで湯を沸かす。
そんでティーバッグの日本茶を入れてくれる、いい奴だね。

日本の香り、ん~落ち着く。
おっ、梅干しまであるのか、すげえ。

モスクワホテルで、飯盒とバーナーで日本茶に梅干しか。
こりゃさすがのKGBも気がつくめえ、ッハ。

おい ロスケ! 俺等は貧乏なんかじゃあねえよ。
好き好んで貧乏旅行してんだ。
決まってんだろ、人生勉強よ、文句あっか・・・皆拍手!


8時。ホテルのレストランで、2ドルも払わされ強制的晩飯。
家畜の餌風、すげえ臭いのごった煮を食って、寝た。

・・親父・・・ソ連ってすげえとこですよzzz・・・


3月28日 朝8時。 窓の外は雪で真っ白。

9時に「朝飯!」 黒パン・コーヒー牛乳・ハムの強制朝食。

そんでフロントで強制的に10$をルーブルに両替させられた。


10時、縦列2列行進でバスに押し込まれて出発。
勝手な奴は投獄だ、いやとは言えねえ。

パンフレット広げて、はしゃいでるおねえちゃん達。
この無愛想で信号も歩道もねえ、雪降る殺風景な寒い町の、
一体何を見たいんだ。

俺りゃ早く出たい。 あ~あ。

雪のレーニン像。 これが赤の広場か、ほんとに赤いぞ。

おこじきさんが何人も寄ってくる。相手にしねえ。
もう、こっちも慣れたもんだ。

広場で、ガイドだか監視役だかわからん奴に命令されて、
鳥の巣みたいなロシア帽を無理やり買わされた。

そんで、ここの写真は撮るな、ここは入っちゃだめだとか
まったくすげえ観光だ。



しゃくだから、屋台でマッチを買った。3コペーカ?高え。

ソ連マッチは平行四辺形。 いびつでつぶれそう。
とてもじゃねえが、検便なんか絶対入れらんねえ。

張りつけたパイプ印の紙に、雪が当たって色が落ちる。
もう手は真っ赤。

擦るとこはデコボコずるずるでマッチ棒がまたすげえシロモノ。

割り箸を割りそこねたときのケバケバより細いトゲの先に、
鼻くそより小さい火薬がおまけみたいに不均等に張りついてる。

これでマッチかよ!

1本じゃダメ、3本まとめて擦る。パチパチ、シュ。
すぐ消える線香花火。 どうやれば、こんなもん作れるんだ。

こいつ等、マッチなんて使わねえんだな。
火がほしけりゃ、木を擦るか火打ち石か、さもなきゃ山火事か、
焚き火か、飯屋か、火のあるところまで行くのか。

参りましたよロスケこのやろ。 あ~あ、早く出てえよ。


ホテルに帰り昼飯のあとは自由時間。
皆、俺等の部屋に集まった。部屋の中も寒い。

誰かが持ってきた日本酒とウオッカ飲んで騒いで、
ソ連の寒さと貧しさと、ばかばかしさを肴に盛り上がる。


「コンコン」 ん? キツネじゃねえ、誰か来たぞ。

ドア開けてみた。 兵隊とおばちゃんが仁王立ち。 

何だおまえら! 客の部屋だぞ、何の用だ。

おばちゃん、兵隊に向ってすげえ剣幕で何か話し始める。

「お前等、うるさい。静かにしないと投獄する」

OKOK、わかったよ。静かにすりゃあいいんだろ、ば~か。

おばちゃんは俺等を睨みつけて出て行った・・・。


でも、兵隊は帰らねえ。なんだ、まだなんかあんのかよ。

顔がマジ。ポケットから汚ったねえ書類出して見せる。

全然わかんねえ。なんか、やばそうな雰囲気。

そんで、ロスケ英語でブツブツ言い始めた。わかるわけねえ。

俺等相談して、日本語の分かる奴を出せということにした。
兵隊野郎にそれを伝えるのに、1時間かかった。


15分後、兵隊がアジア系ねえちゃんを連れて来た。

パツキンのいい女だが、言うことはメチャクチャだった。
聞いたこともねえ日本語で、天井見ながらのたまわった。

「アナタガタ、不足代金12ルーブル35コペーカ払う」

払う? コペーカ? 何言ってんだ、ばっきやろう! 

冗談じゃねえぞ! だいたい不足代金って、なんなんだ。
日本出る時、全部インツーリストに払い込んだろ。
 
お前等大使館の奴等が、モスクワ出るまでの全額払らわなきゃ
チケットもビザも出さねえって、偉そうに言ったじゃねえか!


ふっざけんじゃねえぞ、こんにゃろ! 詐欺じゃねえか! 

そうよ、あんまりよね。 警察呼べ!
 

俺等、本気で怒鳴りまくった。勿論日本語で。
そりゃそうだ、みんな必死で貯めた金だ。

こうなりゃ、外務省に連絡しようぜ。 
・・・電話の掛け方もわからねえ・・・くっそう。

しかし、2mの青年将校と瞬きもしねえ真っ白のねえちゃん。
こんなとこで揉めるのも嫌だってことになって、払った。

負けた。ハラワタ煮えくり返った。アホンダラスキーめ。

うおぁー、どうにもできねえのかよ。

みんなさ、行った国の日本大使館で訴えようぜ国際問題だぜ。
おお、そうだそうだ。 私も行くわ、俺もやるよ。


こんな気分で、夕方6時から強制的ボリショイサーカス見学。

ばっきゃろー! なにがサーカスだあ!

空中ブランコの姉ちゃんもピエロも、みんな詐欺師だ。
そのライオンも象も信用できねえ、許さねえ。


3月29日 朝8時、雨。まだ腹たってる、ちっきしょうめ。

朝飯食って、寒い中を強制的クレムリン見物。
 
いかに凄いかを見せつけるのは、もういい。いいかげんにしろ。
ヤメテコビッチ、サノバビッチだ。


ホテルに戻ると、兵隊が俺等を呼びつけた。
昨日のねえちゃんが来て、無表情・無まばたきで言いやがった。

「あなた達、10ルーブルあげる」 

なーんだとおこのやろう! ぶっとばすぞ てめえ!

ロビーの客が、一斉に振り向いた。

「きのう間違えた」 

なにい! 間違えた?! ふざけんじゃねえ、早く返せ!
10じゃねえ12ルーブルだ。小銭も返せ、出せ。

「10ルーブルOK」

OKじゃねえ、あげるじゃねえ、俺の金だ、謝れこのやろ!
 
そうよ!まず謝んなさいよ。あたりめえだ、悪いのはそっちだ。

・・・でも、こいつ等が、このトロイカ頭が謝るわけねえ。


こういうことだった・・・
モスクワからヨーロッパまでの汽車賃を取り立てた。そしたら
日本で全額支払ってたのが判ったって訳。

もう、完全アホノビッチ。あきれてものも言えねえ。

そんで、あとの2ルーブルはどうしたんだ?35コペーカは?

くっそ、やりやがったな、この手口か、小銭は頂きか。
日本人は訴えねえしな、あ~あ...やられたわ。

皆でぶつぶつ言いながら、まずい晩飯食って荷作り。


夜7時5分。暗い道をバスでモクスクワ駅へ行った。
そして、ダラダラのろのろの税関チェックが終った。

もうルーブルなんかいらねえ、コペーカも縁起悪い。
売店でパンとコーヒー、チョコレート買って使い果たした。

メチャクチャスカヤの国はもういい、早く脱出しようぜ。


そんで、やっとヨーロッパ行きの列車に乗り込んだ。
コンパートメントじゃねえが、まあまあの列車。

日本人は男4人女3人、あとアメ公カナ公ふたりで出発! 

さあ、行くぞ!


ポーランド、東ドイツ、西ベルリン、国境のたびに起こされ、
パスポートチェック。寝てるヒマはない。

でも、これでやーっとヨーロッパだ。



3月30日 夜11時。

西ベルリンのツオーで、ひとり降りた。
日本レストランに修行に行くって、いい娘だった。

一人減って、緊張感は高まる。

しかし、滅茶苦茶な国だった。初めての海外でソ連。

暗闇で強姦されたようなもんだ・・・。





< 4 / 113 >

この作品をシェア

pagetop