印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1972年3月31日 朝7時。

列車はドイツのオスナブリュックを通過した。
 
地図出せ、ほらここだドイツの端っこだ、もうすぐ次は俺の番だ。
しっかりしろ。 オランダだぞユトレヒトだぞ。

予定は10時着、あと3時間か。

忘れもんすんな。金、荷物も確認しろ、皆の住所聞け。
何かあったら泣きつけ。死んだら実家に電話してもらえ。

オランダ入ったら、ユトレヒトで一人で降りる・・・そんで
寝るとこ、わかんねえ・・・もうあと15分。


うお、停まった。ユトレヒトだ。 

じゃみんな、また会おうぜ。元気でな、さよならな、ありがとな。



ぐおー、着いた! ここかあ、オランダだ、ユトレヒトだあ!

ヨーロッパだぞ。やった、やったぞ、ばっきゃろ。

やってやんぞ、来たぞオヤジ、ヨーロッパだよ おっかさーん!


おお!公園だ! 緑がある、噴水もある、レンガの家、道は石畳。

これが人間の住むとこだ。街にも着る物にも色がある、笑顔がある。
これでいい、これが俺のヨーロッパだ。きのうまでがひどすぎた。

よ~し、まずは2ドルをギルダーに両替すっか。あそこか。

駅員もエクスチェンジのねえちゃんも愛想がいい、ほっとする。


まるで絵ハガキ、この街並み。

運河だろ、そんで赤レンガの家だろ、花屋だろ、路面電車だろ、
自転車だろ、楽器屋の店先だろ、パツキンねえちゃんだろ、
長髪野郎だろ、信号だ歩道だ、笑い声だ、雲だ空だこの空気だ。

これだ、これだぞ、オランダだあ!

よーっし、小手調べに、アムスまでバス乗るか。
雨だし荷物は重いし、第一、早くロンドン行きてえ。




バスで昼前にアムスに着いた。東京駅がパクった駅。確かに似てる。

一服して、駅前のツーリストオフィス行って、聞いた。

はい、僕は真面目な日本人の学生です。 実は、ここまで来るのに、
ソ連なんか通過しちゃったんで、失敗こいちゃったんです。

きょうは、オランダ自慢のアムステルダムのユースに行って、
ゆっくりしたいんですが、泊れますか?

えっ、アムスのユースは3時からしか開かねえのか。

でも、そのヘソ出しジーパンのピンクのセーターの二十歳くらいの、
小柄で優しいパツキンねえちゃんが、笑顔で言った。

「ねえ、僕さ、ハーレムに行かない?」 

何? ハーレム? いまから? 行くよ行きますよ。
うっひっひ、いいじゃん。

「そう。いい所よ。じゃあ、はい、これ切符ね。
片道60ギルダーよ。ダム広場からバス出るわ。グッドラック」 

あっそう・・おう、そうだろハーレムだろ。
・・知ってるよ・・・いいところだよな。

まあ、なんでも泊まれりゃいいか、へっ。



ハーレムユース。 絵本みたいな川のほとりにあった。

受付から客まで全員がヒッピー。髪の毛、服装、荷物、家具、
国籍も全部カラフル。 俺も、その一員だ。へへ。


化粧のいい匂いが寄って来た。 女学生の団体じゃん。

ええっ! なんと、俺のリュック持ってくれんの? 笑顔で?
そんで、部屋まで案内してくれるんの? 

わりいねえ。なによ、どうしちゃったのよ、へへへ。

部屋には10人くらい泊ってて、日本人も二人居た。 
今はイースターホリデイに入って、学生も休みだって。

こういうことだった...
イースターでユースに泊ってボランティアするのが、宿題。
どんな小さな手伝いでもするように、が教育だって。立派だ。 

俺もオランダ学生のお役にたったってわけだ。


日本人二人は、えらく軽装で荷物も少ない。
聞いたらロンドンに住んでて休暇でオランダに遊びに来たって。

なんと、ラッキーじゃん。

あの、実は僕、ビートルズに会いに・・・

「じゃあ、ロンドンに来たら寄りなよ」住所をくれた。

ほーら、幸運は来るもんだ! うっしっし。




翌朝、3人でバスでアムス市内へ。

飾り窓見てポルノショップ見て、アンの隠れ家観て宝石店観て。
運河ボートも、只で乗っちゃいました。 


夜、ユースに戻り学生達とホールで飲み会。

いい匂いのするパツキンのおねえちゃん達が、俺達を囲んで、
日本に行きた~いとか、ぬかしやがる。 ひっひ、可愛いいね。

五円玉で首飾り作ったりカタカナ教えたり、じゃんけん教えたり。
お姉ちゃん達も片言英語、ちょうどいい具合。

女学生に囲まれて、きゃっきゃきゃっきゃ。
こうしてオランダの夜は更けていったぞ、さーいこー。


翌朝、日本人二人はロンドンへ帰った。
俺はもう1泊して、情報を仕入れてヒッチでロンドンだ。

成功を祈ってくれおっかさん。むっひっひ、やったるぜ。



4月2日 8時に起きた。オランダ晴だ、いい天気。

ベーコンエッグとトースト、二人前たいらげて腹ごしらえ。
昼飯用のサンドイッチまで作って、9時出発。

じゃあ、おねえちゃん達、またね、さよならな。

五円玉あげたらダンケダンケだって、可愛いぞお。

さあ、生まれて始めてのヒッチだ。 親指立てて歩く。


11時・・・停まらねえ。
誰も停まってくれねえ、この道が悪いのか俺が悪いのか。

荷物は重いし、一休み。道端に座り込んでサンドイッチ食う。
・・・こりゃ野宿かな。まあ、天気いいし野宿もいいか。

そんで2時半、停まった。やったぞ! 

子連れのおやじだ。片言英語で心配そうに、

「ロッテルダムまで歩いたら1日かかるよ。それにきょうは
日曜で銀行やってない。イースター中は両替もできないよ」 

そうか、やばいな。ギルダーは持ってねえし。

1時間くらい走って、

「ここでいいか?2百ギルダーある、これでバスに乗れよ」

ええっ、ホント! すいません、ありがとございます。

アウトバーンのいい所で降ろしてくれた。

これ日本のお守り、五円玉です。 せめてものお礼だ。


さあ、ヒッチの続き。親指だけが風で冷てえ
・・・20分。 車が停まった。 

おっなんと! さっきのおやじじゃんか。

「ロッテルダムまで乗ってきなよ、子供等もOKだ」

ええっ!ほんとですか、乗らせて頂きます、すいません。

俺のこと心配して戻ってきてくれたんだ。く~。

車はビュンビュン通り過ぎちゃうし、心細いし、リュックが
食い込んで腕が痺れてきたし、腹減ったし、日は暮れるし。
野宿覚悟してたところだ。

・・うっ、不覚にも涙が・・ああ。

将棋、キーホルダー、風呂敷き、五円玉、浮世絵の扇子、
サイコロ、パンスト、こうなったら全部あげちゃう・・うう。


お陰で無事ロッテルダムの街に着いた。

ありがとうございます、坊主達もありがと、ほんと感謝だ。
恩人の住所も聞かず、不義理な俺だった・・・。


ロッテルの街でも、親切を一杯もらった。

路面電車の駅まで案内してくれた学生や、ユースまで地図を
書いてくれたアベック、ニコっと笑顔くれた花屋のおばさん。

・・・生まれて初めてのヒッチの、長~い1日を思い出し、
なかなか寝られねえ。・・・でも爆睡したzzz



4月3日 ロッテルユースの旨いバイキングの朝飯食って、
アメ公に10ドル両替してもらって出発。

ハーグへの国道まで行ってヒッチる。

もうヒッチ野郎が沿道に鈴なりじゃねえか、すげえな。

ガソリンスタンドで道路地図をもらう、こいつは便利、タダだし。

ロンドンを目指すドイツ人、ハンスと一緒に親指立てる。
彼は25才。多分悪い奴じゃあねえ・・・と、ふんだ。


15分で停まった。なんだ、簡単じゃねえか。

そうか、ドイツ人と一緒だからか、よっし、ハンス離れねえぞ。
一緒にロンドン行こうぜ、連れてって。

3台乗り継いで、公園でビールとホットドッグ食って。
また2台乗って、6時にホークの港に着いた。

パンとチーズ、ソーセージを買い込んで、フェリー乗り場の
ベンチで食って、ひと眠り。


あっ、いけね、8時だ。 フェリー最終が23:50。
車つかまんなきゃここで野宿だ。

ハンス、ヒッチだ。やろうぜ。

おお、停まった。さすがハンス、ドイツ人アベックを捕まえた。

赤のワーゲンバンの後座席に俺とハンスが乗り込み、
家族面してフェリーの駐車場に入った。
 

よっし、これでドーバー越えるぞ!


デッキのベンチに寝袋で横になった。冷たい潮風がやけに塩っぺえ。

うーん、・・・興奮してきたぞ・・・。

ドーバーだ! あの白い絶壁、イギリスだ!

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