印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
72年4月4日 朝6時45分。

フェリーは、朝もやのハリッジ港に着いた。


うおお! イギリスだ 着いたぞ! やったぞ!


汚れたつなぎの作業服に革ジャンの、荷役のおやじ達。
赤茶色のレンガの倉庫の向こうには街が見える。

威厳と反抗、格式と自由。 う~ん、うんうん。
これがイギリスの、奴等が吸ってきた空気か。

フェリー降りてゲートを抜ける。

税関は簡単に抜けた。こうでなきゃな、人を悪者扱い
する税関なんてそもそも違う・・もうソ連は忘れよう。

ハンスはダチ公のとこへ行くので、ここでさよなら。
世話んなったね、またどっかで会おうぜ、ダンケダンケ。


両替は、1ポンドが2.67ドルか。
物価がわからねえ、1日何ポンドでいけんのか。

とりあえず二百ドル両替しとくか。7万っていやあ結構な金だ。
でも、もう通過じゃねえ、ロンドンの住民になっちゃうんだから。

よし、大奮発で二百だ、やるときゃやるぜ。

「おじさん、200ドル頼むぜ」

え?Tチェックは手数料とるのか、じゃキャッシュでいいわ。

しめて75ポンドか、まあとりあえず何とかなんだろ、へへ。

早いとこロンドン市内へ入りてえ。ポンドもあるしヒッチはやめ。

列車で1時間半1.5£。高えけど、まあいい。

生まれて初めてイギリスの列車に乗る。蒸気機関車だ。
 
古ぼけた向かい合わせの座席、ブーツ脱いで足を投げ出す。


・・・あーついに来たぜ、ロンドン。


人が少ねえな。朝早いからか、そうかまだイースターか。

地図を広げる。大英帝国、今この右隅っこの港から、
中心のロンドンに向ってんだ・・・ひっひ、ざまあみろ。

窓の外は田園、山は無い。 丘と羊とレンガの家々。
こりゃtill there was youの世界だ。

景色にみとれて眠って、9時45分リバプールストリート駅着。
あのリバプールとは違う、市内の地下鉄の駅名。



これが、あのロンドン市内かあ。
映画で見たとおりの警官が偉そうに立ってる。

おっ、あの地下鉄マーク、この信号、赤バス、あのタクシー。

うんうん、ついに来たなLONDON。

ヒッピー情報どおり、ホランダパークのユースを目指す。


地下鉄のホームには、長髪のギターのあんちゃんが弾き語り。
小銭を入れる帽子を前に弾いて唄ってる。
朝っぱらから、ごくろさん。

おっ、なんと生意気にマーチンのフルアコじゃねえか。
ディラン風だな、おっホリーズもやるのか、いいねロンドン。
あんちゃん、がんばれよ、金はやらねえけど...へへ。

駅のエスカレーター、どんどんどんどん降りて乗り込んだら、
けっこう汚ねえ車内、タバコの吸いがら、新聞は落ちてるし、
車両も古い、ロンドン地下鉄の正体見たぞ。


ホランダパークのユースに着いたら、なんと満員。
まだイースター休暇で学生だらけ。

アメ公、カナ公、フラ公、日本人、うじゃうじゃ居る。

受付待ちで、庭はまるで国際交流パーティー会場。
ベッドいらねえから、寝袋で寝かしてくれって交渉してる。 

ここまで来て野宿はねえだろ、さあ、どうすべ。

・・・そうか、あれだ。

アムスで会ったあの日本人、電話してみっか、居るかな。

そこで、電話ボックス。

奴らがファンから逃げて隠れた、ジョージが転んだ、 
ポールが髭つけた、あの真っ赤っかな電話ボックスに入る。


「もしもし...作田君お願いします。えっ留守?
あなたは? 下宿のおばさん?」

英語はまあまあいけると思ってたが、いけた。

訳をはなすと、いらっしゃいって快く言ってくれた。

しめた! これで野宿はまぬがれそうだ。


駅はstreatham common、家はfairmile avenue。
フェアマイルアベニューか、いい名前だね。
 
しかし、おばさんの言うfoot bridgeがわからねえ。
何だ? 足の橋? 地名か? まあいいか。

俺の名前と格好と、お礼を言って電話を切った。

テクテク歩いてビクトリア駅に向かう。


建物古いね、石作りの建物は威厳がある。
それに、この道幅とカーブ具合。

黒塗りタクシー、二階建ての赤バス、公園の犬まで紳士だ。

山高帽に傘持ったおやじが、ホントに歩いてる。 
若い奴等はみんな長髪にブーツ、革ジャンにジーパン。

結構黒人も多い。 歩道が広い、アベックが多い。
みんなカラフル、っひっひ、ロンドンロンドン。


ん? なんだよ。 ポリ公が寄って来やがった。

ヘイボーイじゃねえ、このやろ。 

脇道に入れ? 

何だロンドン入っていきなり職質かよ、ったく。


パスポート見せろ、日本人か? 学生か?泊るところは? 
休暇か? そんで、リュック開けろだ。

ばかやろ、俺は真面目な日本人旅行者だ。
いま、このグレイターロンドンに着いたばっかしだ。

道端で通行人に見られながら、小1時間。
リュックの中身出して、革ジャン脱いで、靴脱いで。

「麻薬は持ってねえな 行ってよし!」

ポリ公はどこの国も変わんねえってことか。

あーあ、せっかくの気分、台無しじゃねえか。


ビクトリア駅から、向き合い座席の古びた列車に乗る。
ポリ公は忘れよう、この田園風景に浸り直そう。


30分、ロンドン南部の田舎駅ストレッサムコモンに着いた。

もう3時だ、電話すっか。 

おばさん、さっきの日本人ですが、今駅着きました。

「じゃあね、駅を出て左に行くと“足の橋”があるから、
そこを右行って、アヴェニューに入ったら6件目が私の家よ。
10分くらいよ、待ってるわ」

まさしく、マンホールからカイリ野郎が出てきそうな、
これがロンドンのアベニューってやつか。

小雨に濡れた歩道、小綺麗な芝生の庭、いいね。

停まってる車はみんな外車だ、あたりめえか・・・。

浸ってる場合じゃねえ、20分歩った・・・わかんねえ。
電話ボックスも無え、人もいない、交番なんかねえ。


まいった・・・おっ、どっかのおばさん。

「あの、すんません。この住所・・・」 

おばさん逃げた。

俺は強姦魔じゃねえよ、ましておばさん・・・頼むよ。

リュック姿の小汚え東洋人が、閑静なロンドン郊外の、
住宅街を歩いてる・・・まあ、無理もねえか。


おお、向こう側に兄ちゃんが歩ってる、よし。

「お~い!兄ちゃん、この住所まで行きたいんだけど、
道に迷ったんだ、教えてくんねえか」

「cc&ex3##opp」

何? なんだイギリス人じゃねえのか。

友達らしき奴が二人来て、やっと通じた。

「どっから来たの? 学生? 僕の友達は日本に・・」

悪いな、早く行きてえんだ、世間話はまたな。

左行って2本向こうのアベニューだな、ありがと。



や~っと着いた、ここだ。ドア横のプレートにMrs.Cairns。

これでケーンか、アイルランド系かな。

レンガの一軒家三階建て、花壇があって、グリーンのドア。
馬蹄形のドアノック、かっこいいね。

ピンポン押した。音はブザーのビーだけど。


50くらいか、銀髪まじりのショートカット、頬は桃色。 
花柄エプロンの、いかにもロンドンの下宿のおばさん。

両手を広げて、にこにこしながら出迎えてくれた。

生まれて初めて、ロンドンおばさんと抱擁、キス。
うおーん、いい匂い、体の力が抜けた。

「まあ、いらっしゃい! 電話の日本人ね、心配したわよ。
道に迷ったのね、無理も無いわ、初めてなんだから」

・・・はい、すいません。

「さあ、リュックおろして。 疲れた? 喉乾いたでしょ。
奥のキッチンに行きましょ」

あー、救われた・・・


「さあ、ようこそ。作田君からあなたのこと聞いているわ。
名前は何だっけ? あ、そう、私にはちょっと難しいから、
ヨシって呼んでいいかしら?」

はい。もう何とでも呼んで下さい、おかあさん。
・・いやミセスケーン

じゃあ、頂きます。

これがうわさの、イングリッシュティーとビスケットか。

暖ったけえ、うめえ、ううう・・・

横浜出てから、きょうまでの出来事が・・一気に・・
脳味噌から・・うわ・・急に涙が。

・・・おばさん、ぼ、僕ね・・・

「いいのいいの、ここは色んな国の学生がいるのよ。 
今は満員だけど、来週スイスの女の子が出るから、
あなた入ったらいいじゃない」

ええっ! おばさん、ぼ、僕ね・・・

「ロンドンは寒いでしょ? もう一杯お茶飲む?」

おばさん・・・おばさんは、世界一いい人ですね。



「おお、来てたの、良くわかったね」作田君が帰ってきた。

はい、わかんなかったんだけど、なんとか。

「おばさん、こいつ日本から初めてロンドン来て、
寝るとこないし・・今晩、僕の部屋に泊めていい?」

おばさん、笑顔で即OK。

助かった、救われた、命の恩人だ、作田君ありがと。


三階の部屋に行って、風呂入って、潮っぽい頭を洗った。
残ってたセブンスターを一服。

うめええ! 生き返った。


夕方6時、 階下からおばさんの呼ぶ声。
玄関右側の、庭の見える小さな食堂に集まる。

スイスの女の子、インドネシアのにいちゃん、
ペルシャのお坊ちゃんと作田君と俺。

おばさんが、皆に俺を紹介する。



「彼は作田君の友達よ。ヨシって呼んでね。
きょうロンドンに着いたのよ。きょうは皆で楽しい食事してね。
ヨシは英語少ししゃべるけど、ここで皆と一緒に勉強しますよ」

おお、そういうことだ。 
間違っても、ビートルズに会いに来たヒッピーとは言えねえ。

僕はきょうから留学生、ウヒヒ。

おばさんが運んでくれる、手作りの料理。すげえ、豪華。

チキンにマッシュポテトにフライドポテト。オムレツにソーセイジ。
きつね色のトースト、ブロッコリーのサラダ。

それになんと、米まででた、すんげえ!
日本出てから初めての米の飯だ。 

ポロポロライスだが、グレイビーソースっていう、ひき肉や
玉ねぎ入りの、何ともいえずいい香りの汁をかけて食う。

しかも、お替わりOK。

俺大好きです、こういうの。最高です、おばさん。 

おばさんは一緒に食べないの?
奥のキッチンで、だんなと食べるって。へえ、そうなんだ。

そんで、自己紹介しながら、晩飯をいただきます。


インドネシアもペルシャもスイスも、みんないいとこの
お坊ちゃんお嬢ちゃん。親は金持ち、自分は脛かじりとは
思ってない。 選ばれたエリート、当たり前感覚。

これがロンドンの英語留学生か。

塩を取ってくれだ、サラダの皿をとってくれだ、
トーストの焼き具合だ、酸っぱい漬物だ、ナイフだフォークだ。

学校で習ったとおりの英語がとびかう。

日本の英語教育も、すてたもんじゃなかった。


食い終わった頃、おばさんが

「お茶にする? それともコーヒー?」

隣の作田君が、日本語で「お茶って言え」って。

はーい、僕 お茶おねがいします。

おばさんのお茶は、自慢のブレンドで、コーヒーは嫌いだって。

そうか、じゃあ、僕もきょうからコーヒー飲みませんよー。

そんで、夕飯が終わったら

「とってもおいしかったです、ありがとうおばさん」

と、おばさんに伝える。

これが、正調ロンドンの正調下宿生晩飯。
間違っても、爪楊枝でシーハーできねえ。へへへ

ごちそうさまでした。


みんなでちょとテレビ見たら、緑の絨毯の階段上って、
3階の作田君の部屋に戻る。

花柄絨毯に白い家具、白縁の窓に木のベッド。枕ふたつ。
窓の外は小さな公園、窓の下にはガスヒーター。

こりゃちょっとした、乙女の部屋だ・・・。 
幸せを絵に描いたような、部屋であります。

へえ、風呂場にもヒーターか、すげえな。

裏庭には、小さな芝生と色鮮やかな花の花壇。
ハングリーなんか、消えちゃう下宿。

う~んロンドン!楽しいロンドン愉快なロンドン!

ロンドン! ロンドン!ロンドン! イヤッホー

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