印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1972年4月15日。ロンドン下宿の朝はこんな感じ。


7時半に、おばさんが三階の部屋に上がってきてノックする。

おはよう!って言いながら、シーツを取り替えてくれる。

「きょうはいい天気よ!洗濯物はそのカゴに入れてね」

は~い、いつもすいません。おねがいしま~っす。

顔洗って歯磨いて髭剃って、玄関行って手紙チェック。

これが結構、わくわくする朝の儀式。手紙来てると1日楽しい。


8時。 一階で皆と朝飯。トーストとポテトは必ず出る。

9時。下宿生が登校する。偽学生の俺も、行ってきま~す。

「ヨシ、きょうは夕飯は?」

お願いしま~す。

「OK気をつけてね」 はーい、ってな具合。 


そんで9時半。 近くのストレッサム公園に行って一服。
待望の手紙を開ける。

きょうのは、お袋とベルリン行った弘子から2通。

まず宛名見て、字が綺麗だとかマジックじゃ滲むんだよとか、
次は裏面見て、やっぱ名前は漢字だなとか。じっくり吟味する。

次に、ボールペンの先で破れねえように、そうっと封を切る。 
なんせヒマ。手紙は5回は読む。

木々の間を気持ちのいい風が揺れる。

あいつ等、どうしてっかな・・・ちょっとセンチになったり。


さあ、きょうはどうすっかな。

鳥やリスに鳩、犬と散歩のおばあさん。俺も景色に溶け込む。

手摺だけが鉄製の百年前のベンチに、白い木漏れ陽が来る。

メロディーメーカー誌のコンサートスケジュールを広げる。

金のあるうちにコンサート観まくらなきゃな。

今週は・・・マーキーは2回、ウイスキークラブも2回行って。
ロニースコットのブルース特集も行かなきゃ。

レインボウは今月は3回行く。
ウイシュボーンアッシュとマウンテンは外せねえ。

そんで、ゆかりの場所も巡っちゃうか。





まずEMIスタジオと例の横断歩道歩って、ジョンの生家と、
ポールの家も行って・・・観まくり行きまくりだぜ。


せっかくだし、本場もんのロンドンブーツでも買って歩くかな。
キングスロードの靴屋は高えし、ポルトベロの古着屋に行く。


ねえ、25.5cmあります?

「な~にそれ?」 

ええ? あっ、センチじゃ通じねえか。じゃ、それ見せてよ。

「これね、ツートンで私も好きよ。どう、似会うじゃない」

おねえちゃん、履かせてくれんのはいいけどさ・・・へへ
ミニスカートでさ、丸見えじゃん。

よし、あと2足くらい履かせてもらっちゃうかな。ひひひ

じゃあさあ、その赤いぽっくりのは?

「これはねえ、ジョーディーも履いてるわよ」 

う~ん、ガキ用か。 じゃその黒い7cmヒールは?

「そう!これはね、エルトンジョンと同じよ。いいじゃない」 

うーん、でも捻挫しそうだな。

じゃ、その低めの茶色のくれよ。へへへ

見放題で靴1ポンド、安いね。 さあ、これ履いて歩こ。


リージェントパーク行って、ホットドッグとビールで昼飯。
天気もいいし、ひと眠りすっか。


ん? なんだ?

東洋人の夫婦がニタニタしながら寄って来た。

都 蝶々そっくりのおばさんが言った。

「ヘイ、ユーあんた、仕事いらんか?」

なんなんだ、ばばあ。
 
ズタズタな英語とガタガタの関西弁、つるつる顔で何の用だ。

俺は日本人だ。 正真正銘、まじめな学生だ。

「私、中国人よ。うちらバースでカレー屋やってまんねん。
イトコに任せて旦那とロンドン来た。あんたおった、ラッキー」 

ラッキー? あそう、そんで?

「イトコ、ペキン帰る。私バイト探す。あんたバース来るね。
ベッドある、飯もある。これ名刺よ」 

あ、そう。 まあ俺も風来坊だしな。へへ

もしバース行ったら、寄せてもらうかもしれねえよ。
でも、あてにゃなんねえよ。

「OK、いつでもおいで、さいなら」 ヒマな夫婦だ。

バースか・・風呂の語源だろ。南だしな、暖ったかいかな。


ラッセルスクエアでは、こんな感じ。

「よう兄ちゃん、いいクソあるよ」

「ヘイボーイ、いいクサあるよ」

公園の中をうろうろしながら、すれ違いざまに声をかけて、
シットやグラスをビニール袋で売る。

クソは固形のハッシュ、クサは葉っぱです。

大概、黒人か中東系だが日本人も売ってる奴が居る。
痩せこけて、目だけギラついて一見してシャブ中。

まともなら1£はするのが50ペンス。混ぜモンだ。


ピカデリーじゃ、昼間からこんな。

「ねえちょっと、お兄さん!お兄さんたら!」 

「ヘイボーイ、俺とどうだ?」

「はーいどうぞ、お客さん!パツキンダンスあるよ」

「美人占い師とウイスキー!どうっすかあ」

相場は2ポンド。 高えのか安いのか・・・。

どこの国にも、立ちんぼとポン引きは居る。
世界最古で永遠最強の商売。


トラファルガー広場は俺のお気に入り。

革ジャン着て噴水周りのベンチに座って人を眺める。

バッグにはタバコとパン、日記に地図に学生証とIDカード。
誰が見ても立派なカタギの日本人学生。職質も問題なし。

行き交う人種は多い。
意外と黒人が多い。フランス系、アフリカ系、アメリカ系が
居るそうだが、俺には区別はつかねえ。

スコッチとアイルランドの区別ができるようになれば、一端。

日本人と中国人、韓国人も見かけじゃわからねえ。
立ち居振る舞いを見て・・・よく笑えば、たいがい日本人。

ほかにも東南アジア、ヒスパニック、ロシア系、何でも居る。
ロンドンも人種のルツボ。でもなんか、白人優位を実感する。

アメリカは差別、イギリスは区別。 なるほどロンドンか。


しかし、あの女達の足の長さはどうだ。
背は同じくらいでも、俺の胸あたりから足がはえてる。

バスで隣に座った女学生の膝が、俺より5センチは長え。
でも、座高は俺の勝ち。 へへ

こいつ等、何食ってきたんだ。この外見に圧倒される。
この骨格と態度のふてぶてしさ。

これが、大昔から世界中に散らばってりゃ世界征服も考える。
アングロサクソン、恐るべし。


そうかと思えば、俺みたいな見ず知らずの東洋の小汚え野郎
をヒッチで気軽に乗せるし、飯まで食わしてくれたり、
運がよけりゃ泊めてもくれる。
アベック、家族連れ、若い奴、年寄りも乗せてくれる。 

文化や民族の違和感が、毎日目の前で起きてるわけだ。

倫敦一ヶ月で、いっぱい見ていっぱい聞いたつもりでも、
毛唐の文化と頭の中、50年住んでも分かんねえかもな。



夕方、下宿に帰ったら作田君が

「日本人が下宿に来るらしいよ。君が出なきゃならないかも」

えっ、ほんと?

「うん、近いうちに話があると思うよ」

そうか、いま下宿は満員だもんね。

「そいつは関西の学生で、斡旋所から留学で来るらしいよ」

そういうことか。

俺よりそいつのほうが、きちんと金になるしな。

おばさんには世話になりっ放し。よし、気持ちよく身を引くべ。


翌日、晩飯の後、
ミセスケーンがちょっとすまなそうな顔で部屋に来た。

「ヨシ、もし3人部屋でよかったら居てもいいのよ」 

うん、ありがとおばさん。
でも俺、旅行もしたいしさ。 また戻って来たら頼みます。

「OKよ、いつでも戻って来なさい」 

その晩のおかず、ミセスケーンが気を遣ってくれた。
俺の大好きなブロッコリーサラダと米の飯が出た。



5月1日 その日本人が来た。

最初の1晩だけ俺の部屋に泊った。 奴は言った。

「あ~、ほんましんどいな。ここは朝から英語しゃべんねんな」 

さよなら、またな。がんばれよボンボン。


ということで、約1カ月の下宿生活が終わりまた渡り鳥だ。

とりあえず、アールズコートのスチューデントハウスに移った。

もうロンドン慣れたし、宿探しに苦労はしねえ。


ロンドン初めての俺を拾ってくれた、ミセスケーンに感謝感謝。 

でも、幸せ過ぎるのは俺にはな・・・旅、行くかな・・・。


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