彼が不機嫌な理由を知っとうと?
「あの、先輩、私」


約束通り、私、この香水が似合う女になりました!
だから。だから!


「これ、俺の高校の時の後輩なんだ。かわいいだろ?」


先輩は周囲にいた友達に向かって言った。


「ホント。初々しいね」
「かわいいー。大祐の後輩ってことは福岡? へえー」
「だろ。この子さー、俺に告白してくれたこともあるんだ」


にこ、と先輩が笑いかける。
それは、私ではなく。
隣にいた小柄な女性に、だった。


「へぇ、こんなに可愛い子に?」
「うん。千奈美、妬いちゃう?」
「昔のことで妬いてどうすんの」


くすくすと笑う女性。
ショートヘアのよく似合う、可愛い人だった。髪の隙間から形の良い耳が見えて、小さなコットンパールのピアスが耳朶を飾っているのが分かった。
清楚な白シャツとジーンズ。パステルカラーのパンプスが鮮やかに眩しかった。

この人って、もしかして。


「桜、こっちの生活には慣れた? 何かあったら千奈美に相談するといいよ。こいつ面倒見良いからさ」
「桜ちゃんっていうのね、よろしく」


先輩に肩を抱かれた千奈美さんが笑う。
私はもう、自分がどんな顔をしているのかさえ分からなかった。

先輩、私、ずっと頑張って来たんだよ。
部活は最後までやり遂げたし、受験勉強も馬鹿なりにやって、手を抜いたりしなかった。
こっちに来てからの三か月間も、努力して、ホームシックにかかる暇さえなかった。

全部ね、全部、この香水を纏いたかったから、それだけなんだよ。
先輩に、「似合ってる」って、言って欲しい、それだけなんだよ。

それだけ、だったのに……。
やばい、泣きそう。


俯くと、「どうしたんだ、桜」と先輩の不思議そうな声がした。
先輩は、私に香水をくれたことも、これが似合うようになれと言ったことも忘れてしまってるんだろう。
馬鹿みたいに信じてたのは、私だけ。


「うー……」
「お久しぶりですー、せんぱーい」


泣き出す寸前、目の前に誰かが立ちはだかった。


「うわ、あれ、お前武瑠?」
「はーい、そうでーす。実は俺もここに入学してましてー」


底抜けに明るい声で話すタケルが、私を先輩から隠した。
ぽろんと零れた涙を慌てて拭いて、目の前の背中を見つめる。
え……? あれ、これ……。


「うわー、なつかしいなあ。お前までいるとはなあ」
「サクラと先輩を驚かせようやっち計画しとったんです。まあ、サクラが飛び出すもんやけん、あんまし驚かせられんやったけど」
「いやいや、驚いたよ。ああ、なつかしいな、そっちの方言」
「せんぱい、もう方言ぬけとうみたいですねー。俺たちは二人でいることが多いけん、なかなかぬけそうにないっちゃけど」
「はは、そっか」


タケルはさっきまでの不機嫌が嘘のようにぺらぺらと喋りつづけた。
そして、私の涙が引っ込んだ辺りで、「呼び止めてすんません。また!」と私の腕をひっつかんで先輩たちの前から去った。


「こんどメシでも食いに行こうぜー」
「はーい、二人分、奢って下さいねー」


すっかりタケルが会話の主導権を握ってしまっており、私は見送る先輩たちに手を振ることしかできなかった。
……話せと言われても、何も言えなかったけど。

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