初恋ラジオ
         *
 『晃(こう)ちゃんの手って、魔法の手みたい!』
 
 そう言って、小さかったその手をじっと見つめていたのは、もう20年も前の話になる。
 麻美(あさみ)は当時、まだ10歳。
小学校五年生だった。
 狭い市営団地の一室。
 開いた窓からは、初夏の暖かな風が吹き込んで、レースのカーテンを緩やかに揺らしていた。

彼の小さな左手には、空のフィルムケースが握られ、その右手には、細いエナメルコードが握られていた。
左手で持ったフィルムケースに、それこそ機械のように素早く、そして、実に器用にくるくるとエナメルコードを巻いていく。

水色のカーペットに散乱する工作用紙とアルミホイル、厚手の塩化ビニールシートに、使いかけのセロハンテープ、そして、はさみにのり。
その部屋は、正に小さな図工室だった。

彼は、はにかんで笑いながら、「80回巻いたら、コイル完成」と言って、そのまま作業を続けた。
良く晴れた五月のある日、彼の魔法の手はラジオを作っていた。
丸く切り取られた工作用紙と厚手の塩化ビニールシート、その両方に、半分だけアルミホイルを貼り、コンデンサー(蓄電器)を作成。
コイルに早替わりしたフィルムケースにイヤホンの線を通して、手作りコンデンサーの中心に着ける。
彼の魔法の手は、そうやってラジオを完成させていった。

引田 晃介(ひきた こうすけ)。

それが、魔法の手を持つその少年の名前だった。
団地の隣に住んでいた幼馴染、歳も同じで保育園から小学校まで、ずっと麻美と同じクラスであった。
晃介は、幼い頃から手先が器用な少年だった。
その性格は、物静かで穏やか、やんちゃ盛りの悪ガキ男子の中にあって、さして目立つタイプでもなく、運動も苦手、しかし、とても頭が良く、こうして工作をさせたら、誰も彼に敵う子などいなかった。
クラスの乱暴者達とは違い、晃介は優しい少年だった。
あんまり女子に優しくするものだから、他の男子に「女の仲間」「オカマ」などと言われて、からかわれることもしばしば。

だが、徹底的にいじめられなかったのは、誰もが、晃介のこの手先の器用さに羨望の眼差しを向けていたからに他ならない。
そんな晃介は、何を隠そう麻美の初恋の君だった。
優しくて頭の良い晃介を、麻美は、子供ながらに尊敬していた。
晃介の手作りラジオは、緑の草に覆われた空き地の真ん中で、麻美に雑音混じりの音楽を聞かせてくれた。
日本が、バブル景気をむかえ始め、にわかに浮き足立っていた頃、晃介の手作りラジオから聞こえていたあの歌を、麻美は今も忘れていない。
手作りラジオから聞こえてくる声に笑い合った日から、一ヵ月後、晃介は、父親の転勤で遠い土地へと引越すことになった。

見送りに出た麻美に、あの手作りラジオを手渡しながら、晃介は、はにかんだように笑って、小声で“ある約束”を提案したのである
晃介と離れることを寂しく思い、泣きじゃくる麻美も、その約束に同意した。
ニッコリと笑って、「約束だからね」と手振った晃介。
だが、その約束は守られる事無く、それきり晃介と会うこともなかった。

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