呉服屋の若旦那に恋しました


「衣都起きろよ」

「志貴こそ起きなよ」

「今日朝飯何がいい?」

「ビルズのパンケーキ」

「………」


暫しお互いぼうっとしたまま会話をしていたが、衣都が寝ぼけ眼のまま俺の胸板にすり寄ってきた。

そしてそのままぎゅっとしがみついて、またすやすやと寝息を立て始めた。

こんなに仕事に行きたくないと思ったのは初めてだった。何故今日が定休日じゃないんだ……。

俺はタイミングを呪いながら、衣都の後頭部を優しくなでた。


「あかん……ほんまに仕事行きたくなくなってきた……」


駄目だ。流されるな、俺。

俺は何とかぐらぐらの自制心を立て直し、おでこにキスをしてから、衣都を引きはがした。






幸せすぎて怖いということは、こういうことを言うんだろうな。

幸せすぎて、順調すぎて、この後大きな不幸が待ってるんじゃないかって、逆に怖くなる。

俺は小さい頃から、わりとネガティブで現実的な考えの持ち主だった。



「志貴君は、今より先のことを考えているんだね」



カラン。

ほんのり水色の薄吹きグラスに、氷がたっぷり入ってきんきんに冷えた麦茶。

レースの紙が敷かれた大きな白磁の皿の上に、俺たちが好きなお菓子が綺麗に並べられている。

どうせ俺たちが汚くしてしまうのに、そう呟いたときに、薫さんに言われたことだった。

その日は藍さんの友人が数人来ていて、俺もそこに当時3歳だった衣都と一緒に交じって遊んでいた(正確に言えば俺が衣都の御守のような役目をしていた)。


「その冷静な所、省三さんに似てるわ。立派な跡継ぎになれるわね」

「えー、嫌や。俺はもっと公務員とかそういう安定した職業に勤めたい」

「まあ、浅葱屋が無くなったら悲しむ人はたくさんいるわ」

「俺が継ぐ頃には着物離れも深刻化して、お客はんも減ってるよ」

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