呉服屋の若旦那に恋しました


そう言うと、俺の脚の間で鈴カステラを食べていた衣都が、“しんこくかってなあに?”と聞いてきた。

衣都は10年以上先もまだ使わない言葉だろうから覚えなくていい、と言うと、また先のことを考えている、と言って、薫さんが笑った。


「私、初めて高価な着物を展示会で見た時……、隆史さんの染めた着物が、衣桁にかけられているのを見た時、鳥肌が立ったわ。服を見て感動するなんてこと、私今まで知らなかったの。でも、着物って1人1人の職人さんが訴えかけてくれるものがあって、私、本当に心奪われてしまったの」

「隆史さんと展示会で出会ったん?」

「ええ。藍もその時一緒にいて。藍色の藍の字だって言ったら、凄く喜んでくれて……」

「ああ、そう言えば」


さっきはお菓子を食い散らかしてた藍と藍の友人たちが、庭で楽しそうに遊んでいる声が聞こえた。


「大げさかもしれないけど、着物が私達を繋いでくれたの。前にも言ったかもしれないけど、衣都っていう名前も、大切な誰かとの縁に恵まれた子になりますようにって、そう願ってつけたの」

「………」

「志貴君は、感動したことは無い? あんなに細い糸で織りなされた布が、下絵や糸目置きを経て、染められて、模様が描かれて、金彩と京刺繍がされて……あんなに美しい着物がやっと完成する」

「………」

「私は、着物はまるで人の人生みだいだと思ったの。最初はただの細い糸でも、沢山の人との縁で繋がって、いつか布になって、それぞれ自分の思うように染めていく……。私も、最後はこんなに美しい着物を完成させたいって、思うわ」


そう言って、薫さんはにこっと微笑んだ。

着物に対して、そんな風に人生を重ねたことなんて無かった。

俺はなんだか薫さんのその考えに軽い衝撃を受けた。単純だけど、なんだか一気に着物が特別なもののように思えた。


「衣都の七五三が、今から凄く楽しみだわ。浅葱屋さんにお世話になるから、お願いね」



―――薫さんが亡なったのはその約2か月後で、彼女は衣都の着物姿を、一度も見ることはできなかった。


人はいつ自分が死ぬかなんてわからない。

明日も当然のように自分は生きていると思ってる。

先を考える癖のある俺でも、明日も自分は当然のように生きていると思っていたし、ましてやまわりの誰かが死ぬなんて、想像したことも無かった。

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