喩えその時が来たとしても
 
「遠慮するなよ。ここには君と俺しか居ないんだから」

 先輩のセクシーボイスに、お冷やの水面までもがビリビリと震え出しそう。私の背中にもゾワゾワと電気が伝い、腕の部分がチキン肌になってしまった。そうよ。今ここに居るのは先輩と私の二人っきり。私の言葉は貴方の為に、貴方の言葉は私の為に発っせられているの。そう、それなのに……相変わらず先輩は仕事モードを崩さない。このまま行けばまたあの『恐怖の間マ』がやってくる。もうソレを繋ぐ為には言うしかない。

「私、ちょっと前に佐藤さんから告られたんです」

「えっ? 佐藤が?」

 だらしなくにやけているように見えた先輩の顔が、パッと音を立てて怒りの形相に変わった。怖いけど、これは私を気に掛けてくれているからこその表情なのかしら。私の賭けは上手く行くのかしら。

「奴は自分の立場を利用して、パワハラのセクハラを行ったというんだな? 職場の風紀を乱すとは、断じて許せん!」

 ああ、そうですね。あくまでも職場の問題なんですねぇぇ。仰る通りでございます。言った私がバカでしたぁぁ。心の叫びは押し殺し、佐藤さんのフォローをしなければならない。彼をセクハラで追い出すのが私の目的なのではないのだから。

「いいえ、先輩。そこまで大袈裟じゃないんです……身体を触られたとかも有りませんし……」

 告られたと言っているのにヤキモチのひとつも妬かれないようでは、はっきり言って脈は無い。少しは私に気が有るんじゃないかと思ったのは只の自惚れでしかなかった。そうよね。私なんか大していい女じゃないんだもの。生っチロくて小さくて、ボーイッシュな髪型だから、小僧みたいなものよね。きっと先輩はスタイルが良くて髪の長い、小麦色のマーメイドがお望みなんだわ!

「そういう問題はひとりで抱え込んでしまうのはいけないよ。セクハラパワハラの相談窓口だったら確か、本社の総務課に有った筈だ。ひとりで行くのが嫌なら俺も付き合うから」

「ほんとに、そんな大したことじゃないんです。佐藤さんには『私には好きな人が居るから付き合えない』ってお断りしましたから」

 そう私が言うと、また先輩の表情がガラリと変わった。なんて言うか、魂が抜けてしまったような……何かに絶望させられたような、そんな表情。「その好きな人は私の目の前に居る貴方です」って言えない私の方が、よっぽど絶望に打ちひしがれているというのに!


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