喩えその時が来たとしても
 
 倉科さんは一転して真顔になり、身を乗り出して力説し出す。

「めぐみちゃん。色恋は時間じゃ計れないよ、重要なのはタイミングと濃度さ、そうだろ?」

 ああいけない。このままだと、この熟練されたトークテクニックの術中にまんまと嵌まってしまう。ここで安易に流されてしまったら、あの手この手で気分を高揚させられ、あれよあれよと言う間にひと気の無い所に連れ込まれ、なんだかんだの内に喰われてしまうに違いない。その証拠にほら、また私の泉が決壊寸前まで溢れてる! でも私、馬場めぐみは先輩への愛を貫きます。先輩からどう思われていようと、私の気持ちは変わりません。目の前のイケメンおじ様より、手は届かなくても貴方を選びたい。

「ええ、そうかも知れませんね。経験豊富なおじ様の仰る事ですもの」

「ね? そうでしょ?」

 倉科さんのドヤ顔が酷く滑稽に見えて、私は可笑しくなった。

「仰る通り、まだ私は先輩を諦めるタイミングじゃないんです。私が席を立った後、先輩はどうしてたんですか?」

 恐らく私の顔は、その声音と同じくキツイ物だったに違いない。

「ああごめんごめん。彼は盛んにかぶりを振って出て行ったよ。後は見てない。男に興味は無いからな」

「具合悪そうにはしてませんでしたか?」

「いや、慌てた様子も無く普通だったよ。じゃ、悪友共が待ってるからこれで。また会えるといいね」

 倉科さんはそう言ってそそくさと自席に戻って行った。どうやら私とは『脈無し』だと判断したらしい。それにしても「また会えるといいね」なんて、今後に繋げる言葉を遺して行く所は卒がない。やはり熟練工には気を付けなければ。

「アアアッ!」

 失敗した! 大失敗だ。もうひとつの可能性が有った。先輩は悪戯で私を置き去りにしたかも知れないのだ。席に戻って来てからどう? 何分経った? 時はどの位過ぎてしまった? 私は慌てて立ち上がると通勤用のトートバッグを肩にからげ、階段を駆け降り、店の出入口に立って辺りを見回し、そして大声で叫んだ。

「先輩! 先輩居るんですか?」

 返事は無い。

「隠れてるんでしょ? 私をからかってるんでしょ? もう出てきてよぉ……」

 声を限りに叫んで、耳をこれでもかとそば立てて息を飲む。しかしそこには郊外の駅の夜に有りがちな、少し寂し気な静けさが漂っているだけだった。

「ふえええん、しぇんぱぁぁい……」

 とうとう私は我慢出来ずに座り込み、泣き出してしまった。


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