喩えその時が来たとしても
 
「はっ?」

 気付けば俺は地元の駅に帰ってきていた。あの時、馬場めぐみが中座した事で、俺が吐いた軽口が彼女の機嫌を損ねたという決定的な事実を突き付けられ、いたたまれなくなってあの場から逃げ出したんだ。

「てんでだらしねえでやんの」

 思えば彼女が戻って来た時に「軽弾みな発言をして済まなかった」と、キッチリ謝っておくべきだった。何も言わずにずらかるなんて、いい大人のする事じゃない。

「畜生、酒の力なんか当てにしたからだ」

 後悔先に立たず、後の祭りとはこの事だ。大体が滑り出しから良くなかった。黙って駅まで歩くなんて愚の骨頂、仕事の話さえ出来なかったなんて。中学生でももっとまともに会話する筈だ。こうして、いつもしているように今日の独り反省会をしながら歩く。暫くするといつものように独り暮らしのアパートに辿り着き、そしていつものように独り、ナップザックを肩から降ろす。

「明日彼女になんて言おう」

 考えたって無駄だとは解っている。過ぎ去った時は巻き戻せやしない。せめて直電や直アドを知っていたら今すぐにでも言い訳が出来るんだが、ピッチにしても事務所で充電中。メアドも個人の物じゃない。

「こりゃ決定的だ……」

 恐らく馬場めぐみは相当怒って帰ったに違いない。そりゃ当然だ。トイレに行ってる間に置き去りにされてるんだ、その気持ちは察して余りある。そして一夜が明ける事によってその怒りは熟成し、増幅され、俺への憎悪となって完成される。彼女を失うのが怖いばかりに逃げ出した、ヘタレな俺が招いた結末だ。

「ただいま。今日はやらかしちゃってな」

 カラカラカラと回し車を回して返事するのは俺の相棒のハム太郎だ。ベタなのは解ってるがそこはそれ、ハムスターに大袈裟な名前もないだろう。こいつは独り暮らしの俺に取って、唯一の心の癒し。面倒だってしっかりみている。毎日の餌やりは勿論、水もこまめに換えているし、掃除も週一でやっている。忘れちゃいけない菜っぱは無人販売スタンドの周りに落ちている切れっぱしを拾ってくる。これが意外と新鮮なのだ。

「ほれ、水を換えるぞ」

 俺はケージを開けて水やり器を取り出した。ハム太郎はつぶらな瞳で俺を見ている。

「解ったよ、でも十粒だけだぞ」

 ハム太郎の大好物はヒマワリの種だが、ジャンガリアン種で身体の小さいこのハム太郎に、ヒマワリの種の脂肪は過剰らしい。だから俺は量を決めてあげる事にしている。


< 36 / 194 >

この作品をシェア

pagetop