喩えその時が来たとしても
 
 俺は職人達に取り押さえられながら、いい歳をして号泣していた。剰りに理不尽な言動の渕に対して、傷のひとつも負わせる事が出来なかった。冷や汗のひと雫さえかかせる事が叶わなかった。頭の良さで、知識の豊富さで、機転の早さで渕をボコボコに出来たらどんなにか胸のすく思いだろう。しかし所詮俺はブルーカラーワーカー。手っ取り早きは腕力勝負なのだ。

「お前なんかに馬場めぐみは渡すもんか! いいか? 絶対にだ!」

 野次馬達がどよめいた。

「おお~う」

「言うね~、岡崎さん」

「ヒューヒュー!」

 渕だけに意思表示したつもりだったが、当然集まっていた他の職人達にも聞かれてしまう。俺は恥ずかしさでゆでダコのようになっていた。

 結局その後の査問会で俺は一週間の謹慎処分。早退の翌日に大事を取って休んだ馬場めぐみとは会えないままに、自宅で悶々とする羽目になる。トビの職長生形さんは監督不行き届きで始末書提出。俺への傷害を働いた渕は当現場への出入り禁止処分となった。拳ではちっとも歯が立たなかった俺だが、これで少しは溜飲が下がるというものだ。

 そして幾日かがあっという間に過ぎていく。俺は見もしないのに流れていたテレビドラマを消して、カーペットに寝転がった。天井に浮き上がったシミと木目で出来た顔が、俺を嘲笑うかのように口角を上げている。

「なんだよ。お前も俺を笑うのか? はぁ……しかし暇だな」

 独り言が多くなるのも仕方ない。何もしないで家に居るのも三日目までは良かったが、それを過ぎるといい加減飽きてくる。

「なんか面白い芸でも見せてみろ、ハム太郎」

 ヤツは視線を俺と合わせず、少々与え過ぎてしまったヒマワリの種を、斜め向こうを向きながらモキュモキュやってやがる。折角のラブリーな食事シーンを主人に見せないとはなんたる事だ! 俺は敢えて声に出して質問する。いや詰問する。

「なんでそっぽを向いてるんだ? 解ってんだぞ? 耳はしっかりこっちの様子を窺ってるんだろう」

 丁度タイミング良くハム太郎の動きが止まった。これがアニメならヤツは顔にスダレを下ろし、冷や汗をタラリと垂らしている事だろう。

「ハハハッ、面白れえ。でもヒマワリの種はやらんぞ? もう食べ過ぎだからな」

 そうこうしている間に、ピロピロピロと固定電話が鳴り響いた。

「はい、岡崎です。……ええ、暇で性がないです。……はい……」

 所長からだが何だろう、謹慎が短くなったのか?


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