喩えその時が来たとしても
 
 私は先輩に思って貰えるほど、価値の有る女じゃない。だってそうよ、一時は渕さんに甘えちゃおうとも思ってしまったんだもの。あの朝、あそこで佐藤先輩が来なければ胸を触らせるだけじゃなく、唇だって与えてたかも知れない。あの流れからすると、ひょっとしたらその先だって……。

「お騒がせしてすいませんでした。でも私、何が有ったのか全然知らなくて……解らないんです。ごめんなさいっ」

 そう言って逃げるように事務所への階段を駆け上がった。銘々の質問を総合して、当時の状況を判断するだけでも大変なのに……渕さんはいいとしても、嫌われたと思っていた岡崎先輩が私の事を好きだった。なんて聞かされて、私の頭はオーバーヒートしてしまったの。

「ふぇっ、先輩……グスッ……」

 私が自分の机に突っ伏してメソメソしていると、「おはようございます」と事務の鈴木さんがやって来た。タイトスカートのスリットから網タイツを覗かせて、ブラウスのボタンは第三ボタンまで開けている。今日も色気たっぷりだ。

「馬場さん、もう身体の方は平気なの?」

「有り難うございます。お陰様ですっかり」

 そうは返したけれど、鈴木さんにはお見通しだった。

「岡崎さんが戻ってくるのなんかすぐよ、元気出しなさいね」

「有り難うございますぅぅ、鈴木さぁん。ぅっ、ぅえっ」

 やはり同性には見抜かれていたようだった。鈴木さんから頭を優しくポンポンされながら少し泣いて、私はどうにか心を落ち着けていた。すると、けたたましい足音を立てて階段を上がってくる音がした。相馬だ、ノイズだ。

「ギリギリセーフ! ああ……岡崎さんが居ないから少し遅れても怒られないか」

 中途半端に高めの、堪らなくノイズィーな音波が耳に付く。そのセコくて姑息な感じの内容がもっとウザイ。奴は靴を脱いで上がってくるなり事務所内を見回して、目ざとく私を見付けた。

「おっ? 馬場ぁ、渦中のプリンセスがようやくのお出ましだなぁ?」

「うるさい! 話し掛けるな!」

 ホントこいつはムカつく。何を言っても堪えないのが余計腹立たしい。

「おうおう、岡崎さんが居ないとおっかねえなぁ」

「ふんっ!」

 馴れ馴れしくしないで欲しい。こいつとの共通点は同期入社という、ただの一点だけなんだから。研修初日に声を掛けてきたその軽さが、その声が、ずうっと鼻持ちならないんだから。私はラジオ体操の用意をする為もあり、早々に事務所を逃げ出した。


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