【短編】紅蓮=その愛のかたち
3
あれから一年になる・・・・。




頭に針を置かれたレコード盤は、33回転で、ゆっくりと廻る。


やがて、芳醇で、洗練された旋律が部屋に満ち始めたが、ナホミの耳には聞こえはしない。


頭の中をよぎるのは、ぬぐってもぬぐっても湧き上がってくる彼への怒りの気持ちである。



「今頃は・・・・仕事と称してアルバイトに雇った小便臭い女を相手にしている頃だろうか。



彼の指が女の首筋を這うように上り詰め、まだ少女の面影の残る耳朶(じだ)に熱い甘い言葉を囁いているに違いない。」


想像は、映像を伴って、ナホミを追いつめてくる。


テレポテーションしたかのように、その状況は鮮明に浮かんでくる。


脳の一番奥深い、ナホミの中枢を担っている部分に。




気がつくと、きつく嚙みしめた唇の端が切れて血の味が口いっぱいに広がっていた。


血の味に誘われるように、自分の年齢を顧みる。




二十代最後の年。


衰えというものは否応なく身体のあちこちを侵しはじめる。


朝起きて鏡の前に立つと、昨日までは無かった筈の目の下のクマ。


見つけてしまた時の戦慄。


「三十路」という三文字がどれほどの恐怖を持って襲いかかってくることか、ナホミの気持ちなど男にはわかるまい。


「若い女の息の甘さを、彼は必要としているに違いない。


私がこれほど彼の帰りを待ちわび、苦しみ、絶望の淵に立たされているというのに、彼は快楽のただ中にいるに違いない。」


妄想は、次々と新しい場面をナホミの脳裏に浮かび上がらせる。


一曲目が終わり、モーツァルトのレコードはアリアに変わる。


ソプラノの透き通った歌声が、部屋の空気を小刻みにふるわせている。


心を和ませる筈のその声さえも、ナホミには、彼を誘惑した若い女のあざけりの笑い声のように聞こえていくる。


耳を押さえても身体の毛穴という毛穴から音は忍び込み、ナホミの心を揺さぶり続ける。
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