甘い唇は何を囁くか
その夜、見た夢は案の定の悪夢だった。

遼子の後を追いかけてくる男たち、必死で逃げたけれど男の足に敵うわけがなく、いくらもかからずに追いつかれてしまう。

そして、押し倒され服を引き裂かれ、泣き叫ぶのもかまわずに男たちがのしかかる。

もう駄目だ―。

そう覚悟したとき、あの男が現れた。

「やめろ」

夢の中の彼は、現実よりずっと紳士。

けれど、それはやはり現実と同じような腕っ節の強さで悪者たちを次々とのして、甘いマスクで遼子を抱き上げるとしっかりと強い腕の中で抱きしめた。

「大丈夫か」

優しい彼の碧の瞳が遼子の顔を映す。

「はい」

弱弱しく答えて、彼の腕の中に顔をうずめた。

「もう大丈夫、俺が、守ってやる。」

なんて言われて、顔がカアッと熱くなった。

「顔を上げろ」

命じるように言われて、遼子は乙女のように恥じらいながら顔を上げた。

そして、ぎょっとした。

あるはずの美々しく麗しいあの顔立ちではなく、それは悪魔の形相、遼子を見つめる悪魔がいた。

悲鳴をあげて、腕から逃れようとする。

だが、彼の腕の力はますます強くなり、痛いほど遼子の身体を抱きしめる。

「痛いっ離してっ!」

彼の碧の瞳の色が濃くなる。

まるで獲物を捕まえたという獰猛な獣のような目つきで、遼子に言った。

「逃がさない―。」

彼の顔が近付いてくる。

キス―それなのだと気がついて遼子はさっと顔を背けた。

彼は遼子の身体をぐいと自らに引き寄せると、噛み付くように唇を塞いだ。

熱い熱い息が入ってくる。

まるで、貪るように、食べられてしまうのではないかと感じるようなキスに、息さえも出来なくなる。

怖い―、それなのに…。

遼子は、悪魔の唇がゆっくりと離れていくのをゆっくりと見送り、その碧に沈んだ瞳を見つめた。

「逃げられない。」

彼が言う。

「お前は、もう俺のものだ。」

―と。
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