ヴァンタン・二十歳の誕生日
 浴室のタイルは母の選んだラベンダー色。

エンジ色のコーナーラックはパパが見立てだと聞いている。


其処にある鏡に、私は又クロスペンダントを指に絡めて写す。


パパの思い出の中に身を置いた時、何かが弾けた。


でも、結局……

何も思い出せず……

浴室に虚しさが渦巻いただけだった。


(パパー!!)

私は何故か鏡を見ながら心の中で叫んでいた。




 いきなり浴室のドアが開いた。


ドキッとした。


(パパ!?)

そう言おうとして、又固まった。


「今度は長っ風呂?」

呆れ果てたような母の姿。

私は思わず、遊んでいたフェイスタオルを湯船で潰した。


「何でも長いね」

母の愚痴が身にしみる。


私は何故か、母を見つめていた。




 何時も母の傍に居た……

きっとそれはパパの居ない寂しさを紛らすためだったのだろう。


「ありがとうお母さん」

私はそう言いながら泣いていた。


「どうしたの? いきなり気持ち悪いわねー」
母はさっきまでと違って、優しく微笑んでいた。


母は何時も私を見守ってくれていた。
だから私はパパのことさえ思い出さなかったのだろう。


「ありがとうママ」
私は濡れたタオルで涙を拭いた。

久しぶりにママと呼んでみた。
甘えん坊だった子供の頃に戻りたくて……




 入浴剤の甘い香りに包まれながら、又至福の時間を堪能する。


何気なく手を置いたロールタイプの風呂蓋。

その下に広がる世界に思わずドキッとした。


腕の影が水面で屈折して、死人の手のようにどす黒く光っていたからだった。

そしてその手先は、自分の太ももを今にも掴みそうだった。


(水鏡?)

私は慌ててクロスペンダントを映し出したコーナーラックの鏡を見た。


(この鏡もきっと……)

奥の奥を考えた。

底のない世界がきっと其処にある……

私にはそのように思えてならなかった。




 やっとバスルームのドアを開けた。

パジャマ代わりの大きめのTシャツ、ハーフパンツに着替える。


パパが居なくなってから、私はパジャマを着なくなった。

何時でもパパを助けに行けるような格好をして眠るためだった。


(えっ!? パパを助ける!?)

私は自分の思いもよらない考えに戸惑っていた。




< 8 / 52 >

この作品をシェア

pagetop