バッド・ボーイ・ブルー


そもそもの始まりはあの日、私がいつも以上にお酒に酔ってしまった時だった。
親の会社の息苦しいパーティーから抜け出して、飛び出した先のネオン街は酔った私を途轍もなく昏いにさせた。異国の地で、異国の人とお酒を交わさなければいけないなんて、今更こんな家に産まれた事をつくづく後悔した。
赤、青、緑、黄色、淡紅、様々な光が飛び交う中を一人よろけ乍歩いて居ると背後から「お姉さん。」と明瞭な声が聞こえたから振り返った。私に話しかけたと確信があるわけでもないけれど、虚ろな耳に唯一明瞭に届いた声だったから、何と無く、何と無く。


「お姉さん、こんにちは」


真白い肌に、目鼻立ちがくっきりしていて、綺麗なブロンドヘアの青年。多分、年齢は私より随分下だろう。
近寄ってくる度に私は、ふわり、と彼から香る甘味な匂いに包まれて、虚ろな脳が更に刺激される。


「お姉さん、四万でどう ?」


青年はにっこりと笑うと口を開いた。
何を言い出すと思えば、こんな事か。どんな好青年に見えても、微笑む瞳の裏には漆黒がある。
馬鹿じゃない。私がこんな事で屈する訳がないわ。
ブロンドの好青年を流す様に見て、踵を返した。


「待って、お姉さん、僕を、四万で買って?」


逆、援交、?
踵を返した私の背中に縋る様に掛けられた言葉に足が止まった。
駄目よ、駄目。釣られてはいけない。こんなもの、無視すれば良いわ。
けれど虚ろな頭で考えれば考えるほど甘味が鼻に侵入してきて吐きそうになる。嗚呼、私の理性はこんなにも脆かったかしら。




「さぁ、行こう、お姉さん ? 」



嵌ってしまう。
過量服薬まで、あと少し。




-----




私は一体、何をして居るんだろう。シャワアルームに響く水音が、私の鼓動を催促する。相変わらず頭はくらくらするけれど。
刹那、ぴたりと水音が鳴り止み、バスタオル一枚の彼が出て来たから、あなたの名前は何、と問いかけた。「別にどうでもいいでしょう?お姉さん。」彼は微笑むとそう言い、私を押し倒し接吻を施した。
最初は、唇が触れる程度に。今は、貪る様に。


水音が、シャワアの音では無く今度は、私の口から、彼の口から響いていた。
下へ下へ伸びてゆく手に、触れる肌にずくり、と熱が集まるのが分かった。


「お姉さん、何で我慢するの?」


其の一言と同時に彼が律動を始める。
絶望と似た感情が込み上げる。けれど絶望の中に、淡い赤が見える。出会ったばかりだけれど、こんなにも彼が愛おしい。
浅ましくもそう思う自身の心にまた絶望する。
自分が理解できない。けれど此れは虚偽の心情じゃない。
知らない男の人と知らない所で、この上なく不快な筈なのに、私は受け入れて居る。寧ろ、欲して居る。


「こんな事 … 」


自分が許せないくて絶望する私に、彼は微笑む。只微笑む。
薄れてゆく意識の中で、彼が、「お姉さんは、また僕を求めるよ。」そう言ったのは、目が覚めても屹度覚えているだろう。
嗚呼、目が滲む。視野は彼の顔が見えるくらい。
遠退く意識に身を任せると、既に私の隣は殻になっていて、彼の居た虚偽の温かさの皺が残って居るだけであった。


----


カーテンの隙間から陽が覗いているのを確認すると、まだ昏う頭をもたげ起き上がって周りを見渡した。案の定隣に彼は居なかった。
珈琲を入れてソファに座るとテーブルの上にあった紙切れに気づく。屹度彼のものだ。

走り書きで書かれている彼の電話番号。
駄目。掛けるなんて許されない。破り捨てよう。早く、早く。


『お姉さんは、また僕を求めるよ。』


嗚呼、私は、もう、
手遅れだ。


「こんにちは、お姉さん」


私を狂わせた息の音が響く。


「言ったでしょう。お姉さんはまた僕を求めるって」


堕ちてゆく。
辞めて、あなたを過量服薬してしまう。


「いつが良い?お姉さん」

「… 出来るのなら、今からでも」


電話の向こうで彼が笑った。否。そういう気がした。
最早私の脳内は欲を求めて他に何も考えられなかった。
只彼が欲しい。


「五万でいいよ、お姉さん」




踏み入れた先は、天国か、地獄か。
(唸る蕾は止まらない)
< 4 / 5 >

この作品をシェア

pagetop