ゆとり社長を教育せよ。


俺と対峙した時はクールな印象しかなかったのに、高梨さんは感情が爆発したように声を荒げていた。


「美也……」

「転勤のこと……本当は、もっと前からわかっていたんでしょう?」

「……ごめん。なかなか言い出せなかったんだ。美也の仕事の負担になっちゃいけないし、それに……こうしてきみが泣くと思って」

「泣かないわよ……そんな、簡単に――っ」


泣いてるじゃん……。

彼女の顔は俺のいる場所からはよく見えなかったけれど、さっき張り上げていた声が段々と弱々しく、そして震えてきていたから、それを聞いただけでも彼女が泣いているというのがわかった。


「そうだ……ずっと隠してたけど、私、会社でいい感じの人がいるの。彼とはキスだってした」


――嘘だ。そんなの、絶対。


「そう、か……それならよかっ――」

「馬鹿! ほっとしないでよ……っ!」


ほら、やっぱり。……自分からそんな痛々しい嘘、つくなよな……


ますます泣き声を大きくする彼女。

そこでようやく、俺は自分のしていることに気が付いた。

俺、何してんだろ……こんな覗きみたいな真似――。

気まずい思いでくるりと踵を返すと、俺は来た道を引き返す。

その途中、背後で勢いよく扉が閉まる音がして、さっきも聞いたヒールの音が近づいてきた。

それを聞きながらも変わらず足を進めていた俺の背中に、突然衝撃が走った。

どうやら彼女が前をよく見ておらず、俺の背中にぶつかってしまったらしい。


「ご、ごめんなさい――」



< 59 / 165 >

この作品をシェア

pagetop