ゆとり社長を教育せよ。

それだけ言って立ち去る彼女の泣き顔が、一瞬だけ見えた。

さっきの強気な雰囲気なんてどこにもなくて、散る間際の花のように、はかなげで、そして、とびきり綺麗だった。


俺はそれに見惚れて声を掛けるタイミングを失い、去っていく彼女の黒髪をいつまでも見つめていた。


一見クールなのに、恋人の前ではあんなに情熱的。

意志の強そうな瞳をしているかと思えば、そこから大粒の涙をこぼす。

そんな彼女のギャップが、俺の心に大きな印象を残した。


――けれどそれから彼女を大学で見かけることはなかった。

教授との会話から学生ではないようだったし、もう二度と会えないだろう。

そのことは別に大きなショックではなかった。

ただ、つまんないのって感じ。


どうせ俺には恋愛する権利なんてないに等しいのだ。

卒業後の進路だって、父親の敷いたレールをただ走るだけ。

“跡なんて継ぎたくない”とずっと言い続けていたのに、父は俺の意見なんて聞く耳を持たず、自分が成長させた製菓会社の社長の椅子を用意しているらしい。

だからきっと、将来の結婚相手だってあの人が勝手に決めるのだろう……

そう思うと真剣に恋愛することがばかばかしく感じられて、俺はどの女性とも広く浅く付き合うことしかしてこなかった。


でも、大学卒業後父の会社に入り、偶然にも秘書としてそこで働いていた彼女の姿を目にすると……

俺は自分でも驚くほど大きな感情の揺れを感じて、同時に彼女をもっと近くで見たいと思うようになった。


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