虫の本
 だから、彼は簡潔にこう尋ねるのだった。
「それ、何なんだ? 綱引きでもする……って訳じゃあないんだろう?」
 その物言いにルフと叶は思わず顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「あっははは! 綱引きか、そいつは良い!」
「……俺、何か変な事でも言ったか?」
「いや、確かに綱引きと言えなくもないっすよ。史上最大級のスケールで綱引きする事になるっすけど」
 はぐらかした物言いをする二人に釈然としない、といった顔をした少年だったが、彼はやはり深く追求しない事にした。
 彼は様々な物に興味を示しはするものの、自分に、あるいは自分の目的に関係が無いと判じた物に対しては、非常に淡白な反応しかしない性格であるらしい。
 綱の材質は軍隊からの横流し品であるカーボン繊維や特殊有機繊維を組み合わせた物であるとか、とにかく丈夫である事を重視した為に、生半可な負荷では千切れも伸びもしないとか、店長が一ヶ月かけて編み上げた逸品だとか、新鮮なヘドゥオを持ち込んでくれた分で綱の代金はチャラにしてもいいとか、叶は得意気に語り続けるが、パーカーの少年は特に興味を示す気配も無く適当に聞き流し──
「って、ちょっと待った! 代金は要らないって、この魚、そんなに高価なのかっ!?」
「ルフが捕ってきた総量を全て毒抜きした上で市場で上手く売りさばいたら、小さな町なら買えるかもしれないっすね」
「マジかよ……」
 衝撃の事実に、少年は言葉を失った。
 続いて彼を襲ったのが、強烈な空腹感。
 どういう訳か彼もルフ同様に無一文であるらしく、ここ、名も無き食事処に入ってからは水しか注文を出していなかった。
 それに加え、このヘドゥオの刺身が放つ、生臭さの無い、とても刺身とは思えないほど芳香な匂い。
 代金は要らない=我慢の必要が無いと分かれば、彼が遠慮しなければいけない道理は無いと言って良い事になる。
 少年の物欲しげな視線に気付いたルフは、屈託無く笑ってこう言った。
「なんだ恩人、そんな事を気にしてたのか? いいから食っとけ、天国が見えるぞ? 食わなきゃ一生後悔するぞ?」
 その声を皮切りに、ついに少年は刺身の一切れに手を伸ばす。
 作法も行儀もあったものではないが、今の彼にとっては些細な事である。
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