虫の本
「当たらずとも遠からず、かな。料理に関係があるって所までは正解だ」
 それだけ答え、ルフは再び刺身に箸を伸ばした。
 切っ先がつまみ上げた切れ端は淡く白みがかった半透明で、店内の照明器具の光を受け、きらきらと光輝いている。
 ぷりぷりとした弾力は歯で噛み切る事で一変。
 独特の風味を口の中に広げながら、その身はふわりと溶けて消えていくのだ。
 生臭さは全く無く、しかし決して味気無いわけでもなく、実際に調理前のゲテモノを丸かじりしたルフでなくとも、一度口にしてしまえばその豊かな味覚の虜になる事は間違いの無い逸品中の逸品である。
 焼けば食感が、煮れば風味が失われてしまう事を知っていたルフは、だからこそ刺身で食べたいと叶に泣きついたのだった。
 頬を緩めながら小皿を空けていく姿を、パーカーの少年はただじっと見つめている。
 ルフは食い逃げの常習犯であり、恐らくはいま食べている刺身の代金も持ってはいないであろう。
 繰り返すが、どんなに美味であろうと、どんなに美味しそうであろうと、手を出してしまえば取り返しのつかない事になるのは火を見るよりも明らかである。
 少年はさりげなく、ちらりと厨房の方を盗み見る。
 巨大な影の中に輝く、爛々と輝く一対の金の瞳と目が合い、彼は急いで目を逸らした。
 あれが何であれ、敵に回しては命がいくつあっても足りはしない。
 彼は、本能的に危険を察知したようだった。
 そうこうしている内に、店の奥から鉢巻きの青年──叶が戻ってくる。
 その右手には巨大な台車の取っ手が、左手には小さな細長い物が握られていた。
 台車の上には太い太い注連縄(シメナワ)のような綱が、とぐろを巻くように高く高く積み上げてある。
 その高さが台車を引く叶の背よりも高いものだから、どのくらいの長さがあるのか想像もつかない。
 ……それを顔色ひとつ変えずに片手でゴロゴロと引っ張ってくる叶の腕力については、少年は突っ込まない事にしたようだ。
 自分の常識で計れない事など、世の中には往々にして存在する物である。
 その全ての事象に対して、自分が理解できる範囲での明確な解を求めるほど、彼は野暮ではないらしい。
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