虫の本
「……呆れた。自分の命が懸かっている状況で、よくそんな所までゆっくり眺めていましたね。貴方は自殺願望でもあったりするのですか?」
「ばーか、生き延びる為に動こうって言ってんだ。俺達は死なねーよ」
 確かにこの案を採用するならば、俺は半端なく危険な目に遭うだろう。
 拡大を続ける灰色の穴に触れないよう気を付けつつ、司書って人がどこかに隠した栞を探す方が、きっと何倍も安全に決まっている。
 しかしこの方法だと、世界が灰色に塗り潰される前に、目的の栞が見付かる保証は全く無い。
 むしろ、時間切れを迎える可能性の方が、遥かに高いと言えるだろう。
 そうなれば、俺に待っているのは死か“再生”か──とにかく、ろくな結末は残されていない。
 それを一番理解している赤髪は、この無謀な新案を“可”と判断するのだった。
「確かにそれは白紙の栞である可能性が高いですね。是非やってみるべきかと」
「そうか、ならもう勝ったも同然だな」
 はい、と頷く彼女の顔には、相変わらず呆れの色が浮かんでいたものの、しかしその中には少しの希望も見受けられた。
 でも、勝ったも同然なんて嘘っぱちだ。
 俺達は図書館とやらに向けて敗走撤退する以上、勝利なんてものは絶対に掴めない。
 それでもあえて非敗北条件を定義するなら、この作戦を完遂して二人して無事に奴等から逃げ切る事だろうか。
「逃げるが勝ち、ですね」
「なんだ、上手い事言うじゃねーか」
「言葉の遊びは、貴方の真似事ですよ」
 少し照れたような仕草で、赤髪は頬を掻いた。
 こうしていたら、普通の女の子に見えなくもないのになあ……と場違いな事を思いつつ、俺は朱と灰が入り混じる、まだら模様の空を見上げる。
 季節は秋。
 まだ夕方の時間帯だけれど、地平線の彼方に消え行こうとする太陽の光は、建物に囲まれた裏路地にはほとんど届かない。
 そんな薄暗い闇の底を見つめる空の星達だけが、俺の矛盾した“勝利の敗走”を応援してくれている気がした。

 これでいいんだよな?
 俺は間違ってないよな?
 由加──
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