虫の本
 これは概ね本当だった。
 ……ただし、口喧嘩に限りはするのだけれど。
 暴力沙汰になると見ればイの一番に逃げ出してしまうであろう俺は、確かに負け知らずと言えなくもない。
 それは、勝ち知らずとも言うかもしれないけど。
 逃げるが勝ち、ね。
 詭弁も詭弁、物は言い様である。
 溜息が漏れそうになるのを堪え、上っ面だけでも余裕の態度は崩さなかったが、俺の虚勢など見透かしたかのように羽野郎は嘲笑う。
「……ふん、餓鬼のじゃれ合い程度の経験で戦士気取りとは、随分と間の抜けた話よ。そんな無知なるお前には、ゆっくりとじっくりとたっぷりと後悔を味わわせてくれよう」
「後悔するのはあんたの方だよ、羽野郎。こっちは二人合わせて腕四本足四本、手数は由加が戦力外であるそっち側の二倍あるんだ。簡単な足し算さ」
「はっ。我よりお前達の方が二倍強いとでも?」
「こっちにゃ俺の頭脳が有るんだぜ? たとえあんたが核兵器で武装したとしても、俺達の方が二十倍強えぜ。ダーツ程度で俺達を止められると思うなよ!」
 …………。
 空気が凍り付いたかのようだった。
 圧倒的優位を信じて止まない羽野郎はといえば、自信たっぷりに雑魚宣言をされた事で、みるみる内に顔が怒りで紅潮していく。
 由加でさえ俺の自信の出所を量りかねているようで、警戒の色を隠そうともしない。
 が、しかし静寂はすぐに破られた。
 無論、気の短い羽野郎の手に──いや、口によってである。
「ひ……ひひひひひひひひ! やはりお前は面白い! 我をこれ程まで楽しませられる輩は、古今東西未来永劫天上天下貴様だけやもしれぬ! ひひひひひ! 良かろう! ならばその言、行動で以て我に示してみせよ!!」
 怒りを露にしながらも、しかし自分こそが優位な立場に居ると誇示したいらしく、羽野郎は狂ったように笑い出す。
 と同時に、羽野郎の白くて細くて長い“右手”の指が奴の頭上を滑り、その空間を紙を破り捨てるような音と共に切り裂いた──かのように見えた。
 そして実際に、切り裂かれた空間からは灰色が溢れ出し、裂け目は拡大して穴へと姿を変える。
 その奥より、あの綺麗で優雅な破壊の化身が姿を現した。
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