虫の本
 白紙の栞を探しに行ったはずの赤髪は、それを手に持ってはいないし、肩に装備している風でもない。
 しかし、そんな事は些細な問題だ。
 彼女の放った渾身の拳打が、一撃だけトリ野郎の背中を強打した──それこそが重要。
 この囮作戦の肝と言って良い。
 痛恨の奇襲により、地に伏せたトリ野郎。
 よもや由加を引き連れ栞を探しに行ったはずの赤髪が、こんなに早く帰って来るなど予想もしていなかった事だろう。
 ちらりと携帯電話の時計を見ると、赤髪が走り去ってからまだ十分も経っていないようだった。
 続いて赤髪の少女の肩に目をやった俺は、素直に聞いてみる事にする。
「栞の数が一枚増えてるな。やっぱり強化の効果は、逃げてる途中に切れちまったのか?」
「皇樹を放った時から発動しっ放しでしたからね……途中からかなり出力を落としていましたが、戻ってくるまでは保ちませんでした」
「うん、それで良いんだよ。強化状態でトリ野郎を思い切りぶっ叩いたりしら、流石のこいつも死んじまうかもしれねーじゃん?」
 トリ野郎には怪我を負わせない。
 それで良かったんだ、と俺は胸中でそう繰り返す。
「貴方は彼が憎くはないのですか? それこそ、命を奪ってしまいたい位に」
「……憎いよ。あんた達が来なければ、もしかしてこの世界はこんな結末を迎えなかったんじゃないのか?」
「…………」
 赤髪が俯いて黙り込む。
 それは肯定という意味なのだろう。
 ……少し嫌味が過ぎただろうか。
 落ち着け。
 今更彼女を責めても仕方が無いじゃないか、と俺は自分に言い聞かせた。
 取り繕うように、赤髪の肩をポンポンと軽く叩いてみせる。
「そーいう訳だからさ。俺はあのトリ野郎みたいに、殺傷や破壊──いや、相手に怪我を負わせるような戦い方だけはしたくねーんだ。あんな奴と同じ方法でしか物事を解決できないなんて、そんなのは最低最悪だよ。それに──」
 俺は、右手で箸を持つ仕草をして見せる。
「“箸”は片方だけ長いと使いにくいからな。あんただけ強化状態じゃ、バランス悪いだろ?」
 そう、ですよね。
 そう言って、赤髪は再び顔を上げた。
< 79 / 124 >

この作品をシェア

pagetop