虫の本
 俺達の嘘は、憎しみしか産み出さない。
 それでも俺は、嘘を吐く。
 憎むべき嘘を、体の中から全て絞り出すかのように。
 自ら最低と評した嘘を、吐き出し尽くすかのように。
 消え行くこの世界に、俺の全ての嘘を置いていくかのように。
「相変わらず唐突な奴だな。逆転の秘策でも思いついたかい?」
「阿呆め、策士策に溺れるとはこの事だ! お前の目的は何だ!? 我を貶める事か!? 否! 否否否否否っ!!」
 喜々として語り出すトリ野郎に内心呆れつつ、俺と赤髪は足を止めた。
 上着のポケットに手を突っ込み、俺はその固くて冷たい、掌に収まるほど小さなプラスチックの感触を確認する。
 これが、俺の繰り出す最初で最後の物理攻撃だ。
 元々は奴の為に用意した物ではないが、結果的には役に立ちそうで良かった、といった所だろうか。
「ふーん……じゃ、俺は何をすべきだったんだ?」
 俺の問いかけに答える形で、奴は大袈裟な身振りで“右腕”を振り上げた。
 そこには既に悪鬼のような面持ちは無く、最初に姿を現した時のような余裕すら漂わせていた。
「何をすべきかだと?」
 にやり、と不敵に笑ってみせるトリ野郎。
 しかしそれは、仕掛けを終えている俺には酷く滑稽な姿に見えていた。
「知れた事を! 我に一杯食わせて御満悦とは、詰めが甘かったな! だが、貴様の狙いは白紙の栞。我に一発や二発の打撃を加えた所で、何の解決にもなりはせぬわっ!!」
「まあね」
“何を当たり前な事を”とトリ野郎を馬鹿にした俺の視線と、“それが導きだす答えにすら届かぬか”と俺を馬鹿にした奴の視線が、十五歩の距離ですれ違って互いを射抜く。
 が、所詮は視線。
 痛くも痒くもありはしない。
 本音を言うならば、恨み言を吐きながら直にトリ野郎が事切れるまでブン殴り続けてやりたい所なのだけれど、そんな事をしても由加が帰って来ない事は分かっている。
 だから俺は、奴の命に関わるような危害は加えないと決めたのだ。
 己の信念に従って。
 しかし──もう一撃分だけは覚悟はして貰う。
 先の赤髪による拳打が、俺に吐いた嘘の分。
 もう一撃は、由加に吐いた嘘の分だ。
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