僕を止めてください 【小説】


 霊園も墓標も木樹も真っ白な雪に覆われていた。

「真っ白だ……」

 清水センセがつぶやく。このまましめやかに、覆われたものすべてがひっそりと眠っていればいい。僕はそう願いたくなった。だって、このままでも、これはこれで良いではないか。そう思ったのもつかの間、僕の脳裏にもうひとつの、昨日見た真っ白な風景がよみがえった。

(バカか? お前がいなかったら俺はどうすんだ)

 不機嫌な声と香りもしないモーニングコーヒーが脳内で再生された。そして、何も解決していなかったことを思いだす。

「そういえば、例の教授先生が次の土日に来るって、幸村さんから連絡がありました」
「次の土日って、えっと? 3日後かな」
「それくらいですかね」
「わかった。なるべく予定空けておくよ。緊急オペとかないことを祈るしかないけど。土曜だと夜になっちゃうけどね」
「日曜で良いと思います。すみません、ギリギリのところでこんな話して」
「良いよ良いよ。だって土日に裕くんに会えるんでしょ? 万難を排して行くよ……で、今日は、どうするの?」

 期待を押し殺したような不穏な明るさで、何気ないふりの清水センセが訊く。

「……良かったら、泊まっていいですか?」
「泊まってくれるの?」
「迷惑でなかったら。明日の午後にでも帰ります」

 いきなり清水センセがしゃがみこんだ。

「どうしたんですか?」
「嬉しくて。膝が抜けた」
「大丈夫ですか? 大げさです」
「君の望まないことしちゃって、ほんとは怖くて、僕にもう近づかない方が良いって思ってるんじゃないかって」
「逆ですよ。被害者は先生のほうですから」
「そんなことない裕くん。絶対にそれはないよ」

 清水センセは膝の雪を払うと、ゆっくり立ち上がった。

「雪が積もってて良かったよ。膝を打撲してるとこだった」
「雪は良いですね。冷たくて、死に似ていて、クッションにもなって」
「うん……雪を見ると、故郷に帰ってきたんだって、そのたびに思うよ」
「ここで生まれ育ったんですもんね」
「ああ、うん。そして君と出会えた場所っていうそれ以上にスペシャルな場所になった」

 白くて冷たくて静かなそれ。お棺よりも今はこれに埋もれたい。そう思ったのも束の間、発作的に僕は眼の前の雪溜まりに仰向けに体を投げ出していた。


< 906 / 932 >

この作品をシェア

pagetop