Pair key 〜繋がった2つの愛〜
4. 番外編 -spin off-

Repeat:

――その部屋は、夏草の匂いが満ちていた。

開け放たれたテラスの扉。
風にそよぐカーテンは半分以上が開かれて、強い日差しが白を基調とした部屋の中をより明るく輝くように照らしている。


贅沢にも二階の全てを客室に仕立ててある小さな隠れ家のような、とあるホテルの豪華な離れ。そこは特別室と称される、最高ランクの客室であった。
一階には数名の従業員が昼夜を問わず何時でも応じられるように待機しており、食事や清掃といった業務の全てを少人数の腕利き達でこなしている。
そこにいる優秀な従業員たちの密かな楽しみは、桁外れに高い宿泊料を厭わずに訪れる、金持ちな客や風変わりな客のあれやこれやを内々に語り明かすことだった。

打ち合わせも兼ねた休憩中の話題はもちろん、本日から宿泊予定のお客様について。
十代後半か精々ハタチそこそこだと思われる可憐な女性と、おそらくは三十代……しかし四十代前半にも見えなくもない年齢不詳の風格に優れた男性、についてである――


二階に備わる寝室は二つ。エキストラベッドを含めると最大で六名までの宿泊が可能だが、訪れる客のほとんどが単身もしくは二人組で、その中でもカップルの多くは熟年夫婦であるのが常であった。
時たま一人の作家が半年以上の長期に渡って滞在したり、高貴な(と思われる)方々が仕事の一環で利用されることもあるにはある。だが、プライベートで利用されるお客様のほとんどが男女の二人組なので、しっとり“慰安旅行”な雰囲気が漂い、それに見合ったサービスを求められることが多い。


「今日のお二方は、随分お若いですよね……ご夫婦、なんですかね?」

「それにしては年が離れてるし、女の子が若過ぎでしょお~ もしかして親子じゃなーい? 顔つきが似てたしね~」

「夫婦でも、親子でも無いかもしれんなぁ…… ほれ見ろ、名字が違う」


年長の従業員が一人で眺めていた宿泊名簿を指でなぞって差し示した。若い男と中年の女の従業員が、興味津々で覗き込む。

男性客の名前は松元俊哉、女性客は斉藤愛音とあった。
そして予約の張本人である男性の年齢は明らかで、やはり三十代半ばである事が分かる。しかし同伴者の年齢までは判らない。
もしも未成年ならばアルコールはタブーだ……ディナーの食前酒についてなど、後々伺いを立ててみよう。そういうことで話は纏まり、一段落をみせたのだった。


「ねぇ、それじゃあ恋人同士なのかしら?」

「そうかもしれないですね……なんか、一緒にいるのが当たり前みたいな……自然な雰囲気でしたし」

「いいわねぇ~~ あんなに若い内からこんな所に泊まれちゃうなんて、羨ましいわぁ。私なんか一生に一度ですら、泊まれるかどうか分からないのに!」

「ここにいらっしゃる方々は、大抵わしらとは違う世界の住人だよ……ほれほれ、仕事に戻れ」

「はーい」

「じゃ、僕は本館まで食材を取りに行って来ますんで!ちなみに今日は久々のイタリアンですよー」

「おお、すまんがついでに煙草も持ってきてくれんか。さっき大久保様に頼まれてな……これと同じ銘柄をカートンごと頼む。そいでもし在庫が少なけりゃ発注するよう頼んでおいてくれんか」

「わっかりましたー!」


タバコの空箱を受け取ったのは二十代後半になる男。若いが腕は確かだという、西洋料理長と郷土料理長兼厨房の最高責任者である二人のシェフのお墨付きで、この離れの料理長を任されここにいる。
本館では毎朝のバイキングと季節の素材をふんだんに使ったランチやディナー、喫茶スペースや深夜のバーなどで、和・洋・中華・印度など世界各国の本格料理とデザートやドリンクを手掛けることができる。若い料理人には刺激的で料理の幅を飛躍的に広げることのできる、最高の修行場所だった。
熟練した各分野の師匠に基礎を叩き込まれ、下積み期間を終えていつの間にかアシストするだけでなく単独に任される料理も増え、どこかの班の責任者にどうかという話になったのが二年前。

当時、なかなか配属先が決まらなかった。それは、本人に何を極めたいという強い希望が無い上に、周りも彼の何が一番特出して美味いのかを言えなかったのが原因であった。どれもこれも良く出来る……そのバランス性を活かして離れの担当にしてはどうかと、ある日突然ぽつりと誰かが呟いたのを皮切りに、次から次へとと同意の声が集まって、男が気付いた時には本人の意思とは関係なく離れの料理長に決まっていた。

料理長としては若すぎて、やや統括面に不安もあった。だが、離れならばその心配も無い。何しろあそこに駐在している料理人は常に一人。どうしてもアシストが必要な時にだけ誰かが呼ばれ、その時々の客の注文に合わせて選ばれた担当者が一人、代わる代わる現地に送り込まれていた。

そんな懐かしい記憶を掘り起こし、折り畳んだ台車を引きずって、裏口から出て表に回った若い料理長。眩しい日差しに目を細め、ふと何気なく二階を見上げた……

「今日で二年かぁ・・・」

もしかして、今日は二人にとっても「記念日」だったりするのだろうか。そう思い、精いっぱい美味しいディナーを提供し、最高の一日だったと思ってもらえるように、最高のサービスを心掛けようと、改めて心に誓ったのだった。

サクサクと草むらを踏み分けて、本館への近道を進む。和食以外の献立が指定されたのたは久しぶりのことだった。自分にとっても感慨深い、思い出のある日に、小さな変化をもたらした客人二人に感謝をしつつ、若い料理長はいつも以上にやる気をみなぎらせ、意気揚々と鼻歌まじりに突き進む。
その鼻歌は、風に混じって人の耳には聞き取れない程に音色を鎮静させながら、二階のテラスを超えてゆき、そこに棲む男女の行為を見守るように包んでいた。





 *  *  *





「馬鹿娘」と、何度となく形容されていた年若い女、斉藤愛音を、松元俊哉は見下ろしていた。
穏やかな声で問いかけながら、精神的にも肉体的にも追いつめている姿は異様な光景であり、それでいて絵に描いたように艶やかで、眩しくて、洗練された尊いものの様にも見る。
愛音は俊哉の問いに耳を傾け、必死に何かを考えようとしている。
だが、それを阻むのが俊哉であり、ほとんど無意識に抵抗を示す体と、零れる涙と、声に現れる色艶に、愛音は困窮するばかりで悶えていた。


「…ぁ……はぁ、……んんっ……」

「……答えろ……」

「む、むずかしい…よ……っぁ!」

「大事なことだ……考えろ……」


俊哉は愛音の身体を弄ぶ。手を滑らせ、脚を押さえ、口唇や舌を駆使して煽るように、味わうように責め立てる。“早く答えろ”と。言い聞かせながら休むこと無く愛音の内側を乱し、侵し、荒ぐ息を静める隙を与えず、思考することを妨げていた。
愛音は懸命に歯向かおうとするが、広がる波に飲み込まれてばかり。もがいてもがいても一向に進まず、岸にたどり着くことが出来ない。
それでいてその状況に酔いしれて、どうにも計れない俊哉の意向を前に、途切れ途切れに声を漏らし、片言に応え、息巻くことしか出来ないでいる。


「もぅっ……やぁぁ…むり!…わかん、ない…」

「…………」

「…っん!…ぁ…ねぇ……おし…えて…」


預けるだとか、責任だとか、義務だとか、そんな小難しいことを語りながら、至って要求はシンプルであった。
この松元俊哉という男は、どうやら簡単なことを難しくするのが得意なようで、遠回しな煩わしい態度でもって己の意を示しながら……ただ、目の前に泣き崩れている女のことを愛しているだけなのだ。
互いに面倒な癖が多く、すれ違うことの多い二人だが、今は何も言わずに抱き締め合って、身も心も寄せ合っている。
ギシギシと唸るベッドが鳴り止む頃には、重なり合った魂が、その瞬間だけは二つで一つの塊となり、微睡みの中に落ちてゆく。

目が覚めたら、二人は再び別の個体になるのだろう。
だが、そんなことの繰返しの中に芽生えるもの、積み重なった中に自然と築かれているものが、突然訪れる転機や好機を踏んでは成長を遂げてゆく。
それがこの二人の面白くもあり面倒でもある関係。他から見れば平凡な、特異な組み合わせに似つかわしいとは言い難い、特徴的なのにありふれた関係であった。




「ねぇ、さっきの言葉……信じてもいい?」

「・・・疑う方がどうかしている」


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