Crescent Moon



「何かあった………?」


矢の様に鋭い視線で私を射抜くのに、その言葉はひどく優しい。


純粋に、私のことを心配してくれているのが分かる。

担任である私を慕ってくれていて、気にしてくれているのだ。



苦しかった。

その視線で貫かれることが。


そんな、純粋な目で見ないで。

汚れのない心で、私を映さないで。


私は、そんな大した人間じゃない。

そう思ってしまったからこそ、視線を逸らした。



「別に、何も………ちょっと疲れてるのね、私も。」


そう答えている間にも、ちらりちらりと浮かぶ顔。


こんな時くらい、私の頭の中から消えてくれたっていいじゃない。

私を解放してくれたって、いいじゃない。



何を期待していたの?

誰だと思って、嬉しいだなんて思ってしまったの?


心配してくれていたのは、あの男なんかじゃない。

私を純粋に慕ってくれている、戸田くんだ。


それなのに、私は誰を待っていたのだろう。



自分でも、自分の気持ちが分からなかった。

どうして欲しかったのか、どうあって欲しかったのか、分からなかった。


困惑する私を追い詰めるのは、鋭い視線のままの戸田くんだ。



「冴島先生と、何かあった?」


その言葉に、単語に、ビクンと体が跳ねる。

それは、もう無意識のことだった。


どうして。

どうして、この子は、私のことをこんなに分かっているのだろう。

他の生徒が気付きもしないであろうことを、気付いてしまうのだろう。


戸田くんくらいだ。

私の異変に気付き、こうして言葉に出してくるのは。



「本当に、何でもないの。ね?」

「でも………」

「ほら、みんなが待ってるよ、戸田くん!」


言い訳は出来なかった。

大切に思っている生徒の前で、そんなことはしたくなかった。


こんな言葉で、濁す私を許して。

先生を許して。







28歳の私に訪れた、小さな変化。

久しぶりに感じるときめきは、戸惑いばかりが大きくて。


迷路を迷い込んだかの様に、私を複雑怪奇な世界へと放り込む。



分かっているのは、その変化をもたらしているのが、あの男だということだけ。



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