私雨。1
タイトル未編集

済み私雨。1

雨に恋した女に捧ぐ………




私雨。1


どしゃ降りだった。

大志田健吾と大垣雅也は警視庁のロビーの片隅からウインドウ越しに表を眺め、恨めしそうに降りしきる雨を眺めていた。
梅雨はとうに過ぎていた。

「なんで四ヶ月振りの休みにどしゃ降りなんだよ!」
「それを僕に言われても………」

「まぁ………いいさ。どうせ寝るだけだからな。休みは休みだ。俺は帰って寝る。大垣、家まで送ってくれ。自由に使える車があるだろ?
まだ返してないんだろ?
二日間お前が使っていいからな」

「はい?……ええ?僕が?はぁ、はぃ………日頃の行いが悪いから雨なんじゃあないですかねぇ………」
大垣が下をむきながら、ぼそっと言うと、
「聞こえない様に言え!いいから車をまわせ!俺は此処にいるからな」
「………………」

仕方ない、と言った顔で大垣が走り出そうとした時、大垣は立ち止まり胸ポケットに手を入れた。
大垣が携帯電話を出そう、としているのが分かった。

「大垣!俺はいないぞ!」
大志田が叫んだ!

「大志田警部……課長、と決まった訳ではないですよ………それに課長だったら、………そんな事言えませんよ」

「もしもし…………」
大垣は電話の主と話す内に、顔色が変わってきた。

「警部!課長です!携帯電話の電源入れろ!って怒鳴ってますよ!」

「馬鹿野郎!大垣、休めって言われたら携帯電話の電源は切るのが礼儀ってもんだろ!」

「そんな………すぐ電源入れろ、とのことです」

「ああ、入れるよ!………今日明日ぐっすり寝たらな。どっちみち、俺とお前は限界だよ。今日は使い物にならないって言っといてくれ」

警部大志田健吾と巡査部長大垣雅也は殺人事件の捜査に入ってから四ヶ月の間、捜査本部に詰めていた。

通常は交代で少しぐらいは休めるが、あと少しで犯人
「逮捕の目処が立つ」、
そんな時に、事件を熟知している二人が休める雰囲気ではなかった。
………そして大志田のチームにより犯人逮捕に至った。

その間大志田は家には帰らず、妻の持ってくる着替えを黙って受け取るだけだった。
妻も何も言わない。
時には、娘の舞を気にして、
「舞は?」
、と言うが、
「大丈夫ですから」
妻もそれしか言わなかった。

(俺も親父と同じだな………
妻が子供を連れて家を出ても、おかしくはないな)
そんな事を大志田は時々思ったりしていた。


大志田は唇を歪めた。
「やっと休める。俺もお前もその権利はある。課長も分かってる筈だ」

しかし………
と、大志田は言う………

「まさか………仕事じゃあないと思うが、一応用件を聞いてくれ」

大志田は半ば諦めていた。
「あの課長が仕事以外で」
自分達に電話をするわけがなかった。

課長………とは島貫忠広の事でキャリアより5年遅れて課長職に就いた。

ノンキャリアで警視庁の課長職なら、それでも早い方である。

それだけに、無名の私立大出の島貫の出世欲は並大抵ではない。
「見てろよ!あの連中(キャリア)に頭を下げさせてやる。

大志田は何度か島貫と飲んだ事があり、その時に愚痴を聞いた事があった。

キャリアに対抗する事自体、どだい無理な話しだが、心の内を誰かに聞いて貰いたかったのだろう。

大志田には理解出来ない「世界」だが、
「上司を理解しようと」
務めた事はある。
しかし今は………それもない。

島貫は自分の部下に付いた人間に対しては、「出世の踏み台」ぐらいにしか考えてはいない。
「俺はいいが………」
仲間が島貫に酷使され、潰されるのを見てからは、
「俺は俺の仕事をするだけだ」、
割り切った。

島貫は人を「観る目」はある。
つまり自分の出世の道具に使えるかどうか………と言う事である。

大志田は高卒ではあるが、2年前、33歳で警部になれたのは、試験に受かったに過ぎないが、課長の島貫は、
「私は君が試験に落ちても、ごり押しするつもりだったがね」
そう言ったが、
大志田は腹の内で笑った。
(本当かい?)
が………それは半分は当たっていた。
島貫は刑事部長、副総監に太いパイプを持っていて、プライペートに直通電話まで出来る。

人脈を作る術も長けていた。
警部クラス迄だっら、試験に落ちても副総監のコネがあれば、理由次第で昇進させられる。

島貫は大志田に恩を売り、「子飼い」にする積もりだった。


刑事になってから、大志田が担当した事件、また率いたチームが担当した事件に「迷宮入り」はない。
犯人逮捕に至らなくても、犯人特定迄はこぎつけ、事件解決の道筋はつけている。


大志田は、
「事件を解決するには、初動捜査に総てがかかっている」
それが口癖だった。
「現場にはない物まで見ろ」
とも言う。
時には鑑識の見落としまで指摘する。
大志田は島貫にとって絶好の「踏み台」だった。

だから………
島貫は世間の目を引く事件が「手の内」に入ると、別の事件に掛かりきりの大志田を、たとえ別の班でも初動捜査の立会につかせる。
大志田に個別に「見立て」をさせ、それを捜査方針に反映させるために。

これ迄にも2回世間を騒がせた大きな事件があり、捜査は難航したが、大志田に見立てをさせた事が切っ掛けで、2回とも犯人に繋がる「ヒントを」島貫にもたらした。
それが島貫自身の評価に反映されたのは言う迄もない。

もちろん大志田は「よそ」の現場で余計な事は言わない。
ただ、立ち会うだけである。
そして全てを見る。
それを個別に島貫に伝える。


大志田は島貫とは別の考えで立ち会うが、当然その班は憤る。
「俺達を信用してないのか!」
「どういうつもりだ!」
その事件の担当鑑識からも不満は出る。

もちろん課長には言えない。
その不満は成り行きで、大志田に向かう。
「そうまでして出世したいのか!」
「少し仕事が出来るからって、いい気になるな!」
そんな事を言われた事もあった。

大志田を擁護する声もあったが、結局大志田はその事で弁明したことは一度もなかった。
大志田は現場を知り尽くしている。
その気持ちは痛い程解ったからだ。

今は………そんな声はない。
「大志田の人柄」
、としか言いようがない。
大志田は人を「力で屈服」させる遣り方は好まなかった。

いつの間にか大志田に心服する捜査員は増えていった。


「大志田警部!事件ですが、03号事件に関連している可能性のある物証が出たそうです!」
「………!」

03号事件。
もちろん通称名である。
或る迷宮入りした連続殺人事件の事を指している。
20年前連続殺人事件と断定されて以来影を潜め、捜査の進展もないままに今日に至っていた。

大志田は、当たり前だがこの事件に直接関係してはいなかったが、刑事になってからは個人的に調べていた。

2人殺害されたが、2人目が当時警察官だった、大志田の父親だったからだ。
連続殺人事件の被害者の1人が警察官と言うこともあり、当時メディアはセンセーショナルに取り上げた。
どれも好奇心の塊の様な記事を書いていたが、それもほぼ風化してしまっている。

大志田が刑事になった理由の一つでもある事件だった。
手が空いた時には常に調べている。
しかし、一刑事が非公式で調べるのには限界がある。

03号事件は広域重要指定事件だった。殺害されたのが警察官、と言うこともあったが、もう一人が当時の厚生省の副大臣、添島正臣だったからだ。

所轄にも捜査資料はあり、その捜査資料も読む必要が出てくる。
しかし、
たとえ本庁の警部でも、警部クラスで非公式に所轄の資料を読もうとしたら、それなりの理由を付けなければならない。

場合によっては門前払いもある。
大志田が島貫の理不尽とも思える命令に不服を唱えないのは、そこにあった。


所轄の署長は、警視庁の課長クラスには頭が上がらない。
大志田が島貫に求めたのは、名前を貸してくれる、と言う、「見返り」だった。
もちろん島貫も分かっているから無理を言ってくる。


「可能性………だろ?これ迄にも可能性は幾つかあったが、全部違ってたろ?………どこの班が出張ってる?」

「それが………片桐肇班長の所です」
「片桐肇?………片桐は3課だろう?」

1課の大志田とは普段顔は合わせないが会えば話しはする。
ただ、03号事件は殺人事件である。
「3課の事件で何故?………まさか………鑑識はどの組だ?」
「寝屋川さんの所です。それで大志田さんに来て欲しいと島貫課長に言ったみたいですね」

鑑識の寝屋川は大志田とは旧知の仲だった。
大志田の父親の事も、大志田が事件を個人的に調べていることも知っている。
寝屋川が公私混同する人間ではない事は大志田が一番良く知っている。

課を飛び越えて連絡してきたからには、余程の事があったに違いない。

通常、課が違うと仲が悪い事が少なくないが、片桐とは比較的仲が良いのも幸いした。
(協力してくれるだろう)

「大垣!場所は聞いたか?」
「はい」
「課長に今から現場に行くと言ってくれ。現場に着いたら連絡を入れる」

「わかりました………それから警部
、携帯の電源………すぐ入れろ、とのことです」

「あぁ………いいぞ。車をまわしてくれ」

雨は止みそうになかった。


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