秘密実験【完全版】



 男にしては背の低い耕太郎は、真を見上げる格好になった。


 辺りは不気味な静寂に包まれている。



「尻尾巻いて逃げなかったのは褒めてやろう」


「真……さん?」


「ほら、褒美だ。受け取れ」


「ウッ……!!」


 突然下腹部に衝撃を感じて、耕太郎は短く呻きながら身体を折り曲げた。


 ──刺された……?


 痛みよりも恐怖を覚えて、頭の中が真っ白になった。


 真が無表情のまま、耕太郎の腹部からナイフを引き抜く。


 自分のTシャツが赤く染まっていくのを呆然と見ながら、耕太郎はガクガクと膝を震わせた。



「うぅっ……ハァ……。真さん、何で……?」


 背中を丸めたまま、ナイフを手にしている真に悲痛な表情で訴える。


 何で、そんなに迷いもなく人を刺せるんだろう。


 そんな疑問が耕太郎の頭の中を支配した。


 そして、自分がその対象になったことに恐怖と深い絶望を抱いた。



「自分で蒔いた種だろ?」


 真は冷たく言い放つと、耕太郎を掌(てのひら)で軽く押した。


 僕が、蒔いた種……?


 確かにそうだよな。


 力の入らない身体がぐらりと揺れて、耕太郎はドサッと地面に倒れ込んだ。


 左頬に当たるタイルの床が冷たい。


 身体的な痛みより、胸の痛みが辛かった。


 僕が死んだら、杏奈さんと家族はどうなる……?



「なぁ、森。お前に選択肢を与えてやるよ」


「うぐぅっ……! ま、こと……さん?」


 耕太郎を仰向けにさせながら、耳元で囁く真はただならぬ狂気に満ちていた。


 そう言えば、心からの笑顔を見たことが一度もない。


 狂気のメカニズムを調べるための実験だなんて馬鹿げている。


 実行する人間が狂っているのだから──。



「自分が死ぬか、女を見殺しにするか……。お前が選べ」


 血に濡れたナイフをちらつかせながら非情な選択を迫る彼は、この世で最も美しく冷酷な殺人鬼のように見えた。


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