B級彼女とS級彼氏

 第12話~私の“歩む”べき道~

 ――『マサヤさん』
 そう呼びかけたその美女に対し、そんな人はここには居ないと親切に教えてあげようとした。だが、「チッ」っと小田桐が舌打ちをした事で、そう言えば彼の下の名前が聖夜(まさや)だったと言う事を薄っすらと思い出した。
 なんとなくクリスマスを連想させる名前だが、クリスマスに生まれたのでも無ければキリスト教徒でも無い。つい先日、十八歳の誕生日を迎えたばかりだと、初めて出会った七年前の六月のあの日、そんな話をしたのを思い出した。

「あら、ごめんなさい。お取り込み中だったかしら?」
「いや、別に。――なに」
「お父様がいらしたようなので、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないかと」
「わかった。すぐ行く」

 はぁーっと吐いた溜息と同時に小さく肩を落とし小田桐は背を向けた。
 彼と父親の間にはちょっとした確執があると言うのを知っている。だからこそ、小田桐が吐いたその溜息にどんな意味があるのか何となくわかるような気がした。

 当時、私も小田桐も同じ“家族”についての悩みを抱えていた。
 アメリカで展示会やコンサートなどのイベント会社を経営している小田桐の父は、将来自分の手で築き上げたこの会社を自分の子供に継がせようと、小さい頃から経営者になる為の教育を長男である小田桐に叩き込んできた。学校が終われば校門には迎えの車が既に待機していて、寄り道する事無く真っ直ぐ家へと直行する。食事や風呂の時間を除き、毎晩夜遅くまで勉強に勤しんでいたと言っていた。大人でも音を上げてしまいそうなほどのきついスケジュールに長年虐げられてきたせいか、母親が気がついたときにはまだあどけなさが残っていてもいい年頃の息子の顔から表情が消えていた。
 そんな息子を不憫に思った母親は、少しでも世の中には楽しい事もあるという事を知ってもらいたいと、父親の目の届かない自身の母国である日本への留学をすすめたのだった。勿論、あの父親を諭すのにはかなりの時間を要したらしいが、将来的に自社の事業を拡大するために日本を視野に入れる事は決して見当違いではないと思い始め、進出前の下調べ的なつもりで小田桐の留学を許可した。

 少し影がある男だとは誰もが思っていただろう。笑顔こそ中々見せる様な事は無かったものの、小田桐は日本での高校生活をとても楽しんでいるように思えた。しかし、その裏では父親によるしがらみから抜け出そうと必死になってもがいていたなどときっと誰もが想像する事すら難しかったのではと思うほど、小田桐は普通の高校生らしく日々を過ごしていた。
 毎日のように私の家に入り浸っては、本棚から私の漫画コレクションを引っ張り出し、帰国するまでには全冊読破すると息巻いていたのを思いだす。結局、それすらも成し遂げる事が出来ないまま、小田桐はアメリカへ戻り再び父親の支配下のもとに自ら身をおいた。

 小田桐が抱えていた悩みなんて、私からすればまだましな方なんじゃないかとつい思ってしまう。厳しい父親のせいで、普通の子供時代を送る事が出来なかったのには同情するが、それをカバー出来るほどやさしい母親が小田桐にはいる。
 打てば響く相手が居ると言うだけで、恵まれていると思うのはおかしいのだろうか。例え犬猿の仲であっても、それを死ぬまで続けられるほど我慢できる人なんてそれほど多くはないと思う。ましてや、実の親子なのだからいずれは分かり合える日がきっとやって来るのでは無いだろうか。

「……」

 私には両親はいない。正確には“いた”のだが、時代の流れと共に失ってしまった。



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