B級彼女とS級彼氏

 第6話~噛みあわない感情~

 しんと静まり返った寝室。既に冷え切ってしまっている濡れたタオルを胸元でぎゅっと握り締めながら、私は小田桐に囲まれるようにして立っていた。左手の前腕をクローゼットに貼り付け、私の表情を伺うようにして小田桐は私の顔を覗き込んでいる。いつの間に傍に来ていたのか、急に頭の上から声が聞こえた事で反射的に顔を上げれば、端正な顔立ちが私を見下ろしていた。
 今の私はさしずめ、蛇に睨まれた蛙――と言ったところであろうか。たったこれしきの事で身体が硬直してしまい、情けなくて涙が出そうだった。
 そんな私を見た小田桐は大きな目を更に大きく見開き、口を半開きにしたまま硬直してしまっている私に何かを伝えようとした。

 ――『それは恋だな、うん』
「……っ」

 こんな時にまた、恵美ちゃんの言葉が脳裏を掠める。そんなはずは無い、小田桐に対して今抱いているこの気持ちは、単なる高校生時代に抱いていた優越感と言う感情から来るものなのだ。その無駄な悪習を断ち切る為に現実を受け入れることが一番の解決策だと思ったからこそ、今現在の小田桐の事を知ろうとしているだけ。
 なのに、もしかして私が小田桐を好きなんじゃ……って勘違いしてる?
 もしそうだとしたら、本当に勘弁して欲しい。全くと言っていいほど女扱いされた事の無い私が、小田桐の事を好きになるなんて事ありえない。どんだけ頭の中がお花畑だと。

 何かを言いかけていたが、しばらく私の顔を凝視している間に考え直したのか、見開いた目が徐々に元通りになっていく。俯きながら小さく「まさかね」と呟き、再び上げた顔にはいつもの無表情な彼の姿があった。

「なぁ、お前。それ取るのそろそろ諦めた方が……え? って、なに? 何でお前泣いてんの」
「は?」

 驚いていると思ったら今度は慌てだした小田桐にそう言われ、指先で目尻を擦ってみる。薄暗くてもわかるその雫の正体が、自分が流している涙だとはにわかに信じ難く、ただ無言で指先をじっと見つめていた。するとすぐに視界が霞み始め、見ている指先までもが小刻みに震えだす。ポロポロと頬を伝うものが涙なのだと気付くと、一気に顔が歪み始めたのがわかった。

「あれ? ごめ、なんだか混乱してて。……私もう帰るわ」

 タオルを彼の胸元へ強引に押し付け、部屋から出ようとした。でも、そんなおかしな行動をしたのが余計に気に掛かるのか、すぐに腕を掴まれてしまう。振り解こうと必死でもがく私に、掴まれた力は弱まるどころか逃げられない様にと両腕を掴まれてしまった。

「も、離しっ――」
「なぁ、何で泣いてる? 何があった?」
「何も無いってば! ……私だって何でこんな事になっちゃってんのか」
「はぁっ? 自分でもわかんねーのに泣いてんの? それってかなりやばくね?」

 呆れ顔で私を馬鹿にしている小田桐を見ると、無性に腹が立つ。自分だって何で泣いてんのか全く理解出来ずに戸惑ってるって言うのに。

「し、思春期の女の子は情緒不安定なの!」
「――お前、思春期っていつの年代の事を指すのかわかって言ってんのか?」
「二十五!」
「……お前はもう一度、精子と卵子が出会う所からやり直した方がいいな」
「うるっさいな! 誰、がっ」

 掴まれていた腕が強く引っ張られ、小田桐の肩に鼻をぶつけてしまう。離れようとする前に後頭部と腰の辺りに小田桐の長い腕が回りこみ、あっと言う間に動きを封じ込まれてしまった。

「……っ」

 胸の鼓動が最高潮を迎えている。
 かすかに香る小田桐のフレグランスが鼻孔をくすぐり、彼の温もりを全身で感じた。今の二人の状態が恥ずかしすぎて、どうにかなる前に解放して欲しい。と、願う気持ちと相反し、離れるのが名残惜しいとさえ思ってしまうこの安心感。どちらにしても、拒絶すると言う感情はこの時既に無くなっていた。

「――」

 だがしかし、ここまで密着してしまえば、いくらなんでも私の貧乳っぷりが手に取るようにわかるんではないだろうか。まな板だと馬鹿にされた過去が有る分、こんなに密着する事でやっぱりそうだったかと納得し、それこそまた言いふらされでもしたらもう外を歩けなくなる。 
 流石にそれは避けたい。

「ちょ、おだっ――」
「なぁ、どした?」

 必死で離れようとする私の耳元に、小田桐の低音の声が響く。それと同時に甘い痺れが身体中を襲い、一気に力が抜けてしまった。
 小田桐は更にぐっと力を入れて抱き締めてくる。覆いかぶさるようにして抱き締められた私は背中を反らし、自らこのお粗末な胸を押し付ける形となってしまった。

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