B級彼女とS級彼氏


「な、にも。ほんとに、ちょ、苦しい」
「言いたく無いんだったら別にいい。しばらくこうしててやるから、少し気を落ち着かせろ」
「……」

 そう言ってから小田桐の腕の力が少し弱まった。弱まったからと言って解放してくれるわけではなく、私が苦しくない姿勢までもっていったのを見計らうと、押さえつけていた私の後頭部を何度も撫で始めた。
 昔、小田桐の前で両親の話をして涙が溢れてしまった事がある。その時も今と同じように、ただ頭を何度も撫でてくれた。その行為の端々に“お前は一人じゃない”と言われている様な気がして、とても心強くなったのを思い出す。
 気付けば、あれ程暴れていたのが嘘のように、私は小田桐の肩に顔を埋めていた。

「……あ、――やべ」
「?」

 急に肩を掴まれたと思ったらべりっと引き剥がされた。小田桐はすぐに私に背を向けると、腰に手を置きながらはぁーっと大きな溜息を零している。
 急に引き剥がされたのが気になった私は一体どうしたのかと、今度は小田桐の事が心配になってきた。

「なに?」
「何でもない」

 何でもないとは言うものの、小田桐は背中を向けたまま私の方を見ようともしない。何度も溜息を吐いては、天井を見上げたり足元を見たりを繰り返している。右足のつま先を何度も揺さぶる仕草は、彼がイラついている時に見せるそれと一緒だった。

「ちょっと、マジでどうしたってのよ? 私なんかした?」
「うるさいっ! お前もう帰れ!」
「はぁっ!?」

 カチンっと来た。今日一体何度目なのかと数えるのもイヤになる。今まで散々「帰る」と言い続けてきたのを妨害したのは一体どこのどいつだ。

「何よ、その言い草! せっかくちょっと見直しかけてたってのに!」
「……」

 ――チッ
 追い打ちをかけるように聞こえた舌打ちが、私の神経を逆なでした。

「もう今度こそ帰る! 馬鹿! いつまでもそうしてろ!」

 寝室の扉へと向かおうとすると、またも腕を掴まれる。睨み付けられて当然のはずの相手は、何故か私の事も睨みつけていた。
 さっきはあんなに優しかったと言うのに、何故切れられなきゃならないのか。小田桐の考えていることがわからない。

「なに!? いい加減にしてよ」
「違うって」
「はぁっ!? 何が違うって言うのかな!? あんた私に『さっさと帰れ』って言ったじゃん! お望み通り帰って差し上げるから『離せ』って言ってるんだけど?」
「いや、そうじゃなくて。まぁ、いいから落ち着け」
「うるさいな、帰るって言ってんで――しょ……ぎゃぁっ!?」

 身体全体を使って振り解こうと反動をつけると、本当に手を離される。当然、私はその場で派手にすっ転ぶ結果となった。

「いったぁ!」

 きっと、絨毯に這いつくばっている私を見て、さもしてやったと言わんばかりに笑っているのだろう。悔しくなりながら見上げてみると、笑う所かまるで切羽詰った様な、いつものポーカーフェイスの小田桐からはまるで想像もつかない表情をしていた。

「……? なに、――よぉっ!?」

 急にしゃがみ込んで視線を合わせたかと思うと、一気に抱え上げられてしまう。何が何だかわからずじたばたしていると、ポンッとベッドの上へ放り投げられた。
 上体を起こそうとする私の肩がまたもやベッドに沈められる。私の上に圧し掛かる小田桐は、いつも以上に様子がおかしかった。

「ちょっと、何してんの? 冗談……きつい」
「冗談でこんな事出来るか」

 冗談じゃないとしたら一体なんだと言うのか。散々、私の事を女じゃないとかまな板だとか、ってからかっていたくせに。
 タイミングさえ合うのなら、どんな相手とでもこういうことを平気でするのか。

「馬鹿にしないでよ」

 酷く見下された様な気がして私はそう呟くと、真上にいる小田桐から顔を背けた。
 多感な年頃の高校生の時でさえも、こんな風になる事は一度も無かった。あの頃の方が、私の家でそれこそ朝まで一緒に過ごした事など何回もあったというのに。小田桐が私を女として扱わなかった分、私も変に固くならずに小田桐と付き合うことが出来たのだ。
 ずっとずっと、たとえ喧嘩別れをしたとしても、二人の関係はそれ以上になる事は絶対無いと思っていた。

「――。……っ」

 背けた顔に手を添えられ、ぐっと小田桐の方へと向かせられる。その行為が「俺の話をちゃんと聞け」との彼の意思表示だと言うのがわかる。小田桐が何を伝えようとしているのかわからないけれど、過去の二人の関係を壊す事になる様な話ばかりが私の頭の中を支配する。せめてあの時の思い出だけは大事にしたい。話を聞く気は無いのだと言葉を発する代わりに、両手で思いっきり押し退けた。
 左手を拘束され、すぐに右手をも小田桐の大きな掌に捕まえられた。それでも必死で身体を捩り続けた。

「はなっ、離してってば!」
「芳野!」
「――い、いやだ! 言うな! 何も、……聞きたくない!」

 明日が来てこのまま会わなくなれば、楽しかったあの頃の思い出として綺麗に終われる。わざわざそれを壊すような事を言わないで欲しい。
 ポロリ、とまた頬を冷たいものが辿ると、また小田桐の顔が苦しそうに歪んだ。

「悪い、芳野。こんな事するつもりは無かった」
「悪いと思ってんだったら、……さっさとそこどいてよ」

 手首にかかる圧が弱まるどころか、更に強まったのを感じた。

「――痛っ」
「いつも喧嘩腰なお前が急に顔を赤くしたと思ったら突然泣き出すとか……。そんなの見たらこっちの調子が狂うのも当たり前だろ?」
「それは、だって……」

 ――全部あんたのせいだよ。
 喉まで出掛かっていた言葉をぐっと飲み込んだ。 

「――っ、あんまり俺を煽るな。……止まらなくなる」
「えっ?」

 もしかするとお互い噛み合ない会話をしていたのだろうか。トロンとした目の小田桐の綺麗な顔が、自分の方へと徐々に近づいて来た事に私は激しくうろたえた。


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