名前を教えてあげる。


「おいで!」


赤いピーコートを着たまま、美緒は両手を差し出た。

以前の恵理奈なら、この合図で美緒の胸に飛び付いてきたのに。


「いいっ」


恵理奈は顔をぶんぶんと横に振ったあと、再び炬燵ぶとんを掛けた膝に顔を埋めた。


「………光太郎、何があったの?」


「なんもねえよ」


美緒の問いに、グレーのスエットを着た光太郎は背を向けたまま答えた。

スエットは寝巻き代りのもので、白い首筋がやけに小ざっぱりして見えた。
茶色く染めたパーマヘアが少し湿っている。


美緒の胸に過るものがあった。


「ねえ。こうちゃん、もうお風呂入ったの?」


「あ?なんで?」


光太郎は振り向き、美緒を威嚇するような目付きをした。


その途端、恵理奈がわああ〜っと声を張り上げて泣き出した。


「何、どうしたの?」


恵理奈に駆け寄り、膝を折ると、光太郎が前を向いたまま、ふん、と拗ねたように頬杖をついた。


「仕事は3時であがった。
帰ってきたら、こいつが椅子の上に本乗っけて、その上に立ってんだよ。
信じらんねえだろ?危ねえ、怪我し…」


「ええっ?」


光太郎が言い終わらないうちに、美緒は声を張り上げた。





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