博士と秘書のやさしい恋の始め方
「とにかく、おまえはその内なる声にしたがうべきだと僕は思うよ」

「内なる声、か」

俺はなんとなく飲みかけの酒が入ったおちょこの中を静かに見つめた。

「きっと、神様が背中を押してくださっているんだよ。僕に言わせればね」

まったく、子どもの頃から変わらない。

周の話には、ときどきこうして神様が登場する。

「曲りなりも神職のおまえが言うんだから、信憑性がある気がするよ」

「曲がりなりにもとは失礼な」

周は由緒ある大きな神社の三男で、一応神職の資格を持っている。

一応といっても決してその資格がインチキだとかではない。

上の兄たちとは少し違って、周がふだんは付属の結婚式場や幼稚園の経営に携わっているためだ。

「選ぶのも行動するのもおまえだよ」

「わかってる」

「オンラインゲームばっかりやってないでさ、ちゃんとリアルでも人とつながりなよ。あ、オフだけじゃなくてオンでもおまえは友達少ないんだっけね。ごめんごめん」

「周、おまえなぁ……」

我を忘れてしまうほど夢中になって誰かのことを想うこと。

それが本当の恋というなら――確かに周の言うとおり、今まで俺はそれを知らずに生きてきたのかもしれない。

知ろうとしなかったのか、知ることを避けてきたのか。

或いは、たまたま縁とやらがなかったのか。

正直、そこのところは自分自身でもよくわからない。

しかしながら――今、俺はひとりの女性を想い、仕事も手につかぬほど考えあぐね、焦りと不安にさいなまれている。

このままではいたくない。ここで終わりたくはない。この状況をなんとかしたい。

この内なる声に耳を傾け、静かなる衝動にまかせてみよう。

俺はひとつの覚悟とともに、飲みかけの酒を飲みほした。



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