冬夏恋語り


『西垣、婚約解消は辛いだろうが、そう落ち込むな。

人生の通過点だと思えばいいじゃないか。

猫を飼ってみないか。癒されるぞ、飼えよ。美猫を紹介するぞ』



猫倶楽部の会長を務める友人にしつこく勧められ、猫のブリーダーのもとへ足を運んだのが運のつきだったのか、運命の出会いだったのか。

マンチカンという種類のコイツに出会い一目惚れした。

ピンとたった耳に短い足、つぶらな瞳はけなげに濡れて、俺を見上げる仕草に虜になった。

彼女と別れてからひとりの時間が増え、いつか彼女と一緒に観ようと思っていた古い映画を観るために60インチのテレビを購入したのだが、 その大型テレビより高額な価格で取引されている猫を、何の迷いもなく手元に置くことに決めた。

猫を膝に抱きテレビ画面に見入る夜の時間は、いま一番やすらぐひと時だ。

丸い顔を見て 『ミュー』 という名を即座に思いついた。

別れた彼女の名前 「みゆき」 に近い響きだと気がつき、ほかの名前に変えようと思ったが、結局思いつかずそのままだ。 

ミューの可愛らしさに癒されながら、名前を呼ぶたびに自分の心の傷を確認している。 




ミューのために必要な物への出費は惜しくない。

昨年まで足しげく通っていた古書店より、ペットショップへ行く回数方がふえたのだから、俺の猫好きも相当なものだ。

今日も大学の帰りに、もう何度も通って常連になったショップに顔を出した。



「西垣さん、ちょっといいかな」



店長に呼ばれて奥にいくと、数種類のキャットハウスを前に迷う女性がいた。



「うちのコのベッドを探してるんですけど、どんな形がいいのか迷って」



並べられたハウスから目をそらすことなく言葉があり、振り向いて顔ぐらい見せろよと少しムッとしたが、彼女もマンチカンのオーナーだと聞き、俄然興味がわいた。



「迷うよね。オタクのコは、どんなコ?」


「男の子です。新しいハウスを探してるんですけど」



まだ小さくて、これくらいなんですよと、このときはこっちを振り向いて手振り身振りで説明があった。

薄化粧の肌は透明感があり、下唇がぷっくり盛り上がった顔は女優の誰かを想像させた。

顔立ちや物怖じしない話し方から、30歳を過ぎたかすぎないかの微妙な頃か……と振り返った彼女の顔を見て自分勝手に年齢をはじき出す。




「ハウスにも相性があるからね。おとなしいコ? それともやんちゃ?」



何も知らない人が見たら、猫の話をしているとは思えないだろう。

去年までの俺だったら、とても考えられないような会話をかわしているのだが、これがまた楽しくて仕方がない。

嗜好が同じ人との語らいは、男女の隔たりなくはずむものだ。



「よかったら、ウチのコ、見てもらえませんか?」


「いいけど、ここに連れてくる?」


「できたら、これから一緒に部屋に行って、ウチのコを見てもらえませんか」


「いやいや、それはちょっと……会ったばかりの女性の部屋に行くのは、まずいでしょう」


「そうですか?」



きょとんとした顔で見つめられ、こっちの方がたじろいだ。



「麻生さん、この人、大学の先生だから安心だよ。身元は僕が保証する。

それにさ、学生に教え慣れてるから、相談に乗ってくれるよ」


「店長、買いかぶりすぎだって」



大学の先生といっても、まだ講師になったばかりだ。

准教授くらいなら 「大学の先生」 と紹介されても大きな顔ができるのだが。



「じゃぁ、お願いします。私、麻生恋雪 (あそうこゆき) です」



一瞬 「みゆき」 と聞こえて胸の奥が大きく揺れた。

「こゆき」 と 「みゆき」 一文字違いか……

別れた彼女の名前によく似た 「こゆきさん」 は、よろしくお願いしますと頭を下げた。



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