黄昏の特等席
 彼の胸を押すと、そのまま手を掴まれてしまい、今度はグレイスの灰色の髪を見ている。

「メイドか。持ち場は?」
「キッチンです・・・・・・」

 皿を洗ったり拭いたりすることがほとんど。それ以外にも人手が足りないときは手伝うこともある。冬に水仕事をすることは正直辛く、手が荒れている。
 グレイスの話を聞き、その手を見た彼は信じて、一歩近づく。

「なるほど。見ていて痛々しいな」
「何を・・・・・・」

 彼はグレイスの手を持ち上げて、そのまま自分の唇に引き寄せた。

「何するんですか!?」

 グレイスが手を引っ込めようとしたときにはもう唇がとっくに触れていた。

「照れなくていいだろう?」
「照れてなんかいません!」

 彼の手を振り払うと、少し苛立っていて、グレイスを見下ろす。

「私はまだ君の名前を知らない。そろそろ言ったらどうだ?」
「アクアマリンと申します」

 これがグレイスの偽名。偽名を名乗るのには当然理由があるものの、教えられない。
 名前を聞いた途端、彼は驚いた顔になって、すぐにその顔を消した。

「もし良かったら『アクア』と呼ばせてもらってもかまわないかな?」
「お好きにどうぞ」

 短く呼ぶのは彼だけではない。実際にそう呼ぶ人は他にもいる。

「では、そうさせてもらおう」

 アクアマリンでは長くて呼びづらいので、彼は「アクア」と呼ぶことにした。
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