男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
――チャリン。…ガシャン!

「ほら。津田。」

「ありがとうございます、頂きます。」

「あっ。姫野さん、アイスかホットかどっちが飲みたい?」

津田くんご希望の【酸っぱい系のドリンク】を彼に手渡した後、課長にそう尋ねられたので私は「アイスで。」と答えた。

――チャリン、ガシャン!

「はい。」と言って手渡されたのは、私がいつも好んで飲んでいる銘柄のカフェオレ。
ここの自販機にはこのカフェオレしか無いから選びようもないけど、それでも本条課長からご褒美が貰えた気がして嬉しかった。

私は「ありがとうございます、このカフェオレ好きなんです。…ご馳走になります。」と言って、ありがたくそれを受け取る。
そして私が受け取った後、課長は自分用のブラックの缶コーヒーを買い、自然な流れで私の隣に腰を下ろした。

私は、本条課長と津田くんに挟まれて座っている。

「2人とも、お疲れさん。…津田、俺も見るまで噂だけなら良いと思っていたが、どうやら"あれ"が姫野さんの現状らしい。今後、問題が解決するまではチーム内の誰かと一緒に動くようにしたい。協力頼むな。」

「はい、もちろんです。」

「姫野さん、よく耐えてたな。お疲れさん。しっかり糖分摂れよ。」

「お気遣いありがとうございます、課長。……美味しいです。」

いつもと同じカフェオレなのに、今日はその"甘さ"の中に"優しさ"も入っている気がした。

部長や観月くんたちは、滞りなく挨拶回りできてるかしら…。

「一息つけたなら良かったよ。…さて。今度は俺たちと入れ替わりで〔2課〕や〔3課〕の課長と新人が挨拶回りだからな。そろそろ戻ろう。」

こうして、私たちは〔営業1課〕に戻った。


**


「ただいま戻りました。」

私たちが部署に戻って1時間ほど経った頃、観月くんたちが帰ってきた。

「おぉ、おかえり。観月、桜葉。」

「おかえりなさい。」

「ただいま、“雅姉さん”。それにしても、本条課長ホントすごいですね。どこ行っても『本条課長によろしくお伝え下さい。』って言われますよ、毎年変わらず。…もちろん、“あの方たち”にも言われましたけど。」

「はは。まぁ、“あの人たち”のことは話半分で聞いといてくれて構わないから。」

“あの人たち”…? 誰のことかしら?
まぁ。「話半分で聞いといてくれて構わないから。」なんて言えるってことは、課長と相当親しい間柄の人なんだとは思うけれど…。

――ヒラッ。

…ん? メモ? なに?観月くん。

―課長のご家族の方が経営されている病院もうちのお得意様なんですよ。
課長本人はプライベートを女性社員に知らたくないらしいので
いつも伏せて喋ってるんですけどね。―

あぁ、なるほど。やっぱり“白石先生たち”のことね。

まぁ、そうでしょうね。芹沢さんなんかには知らたくないでしょうね。面倒なことになるし…。

「なるほど、"そういうこと"ね…。」

観月くんとそんな話をしていると、立花さんの「課長、ちょっとよろしいですか?」という声が…隣の机の島から聞こえてきた。

「立花さん、今送ったメールの件だろう?今から手短に説明するよ。しかしその前に…。桜葉、ミーティングルームが今から1時間ぐらい空いてるか確認してくれ。俺が立花さんとの話を終えたら、"Aチーム"は至急のミーティングを行う。そのつもりで。」

「はい。」

その返事を聞いた課長は立花さんと話し始めた。でも口と一緒に手も動いているところをみると、本題はおそらく筆談の方。

そんなことを何となく考えていたら、話を終えた立花さんが一直線に私のところにやってきて…"Aチーム"のメンバーしか聞こえない音量でこう告げる。

「姫野さん、ありがとう。課長から聞いたわ、飲み会のお誘い。あなたの噂の“男嫌い”にはちゃんと理由があって、それをごく限られた人間に打ち明けようとしてくれてるって…。姫野さん、“人”が怖かったのね。でも、"鈴原さん以外の女性の味方も欲しい"って思ってくれて、私の名前挙げてくれたんでしょ?…課長は、あなたが『今週か来週にはって言ってるから。』って言ってたけど…あまり無理しないようにね。大丈夫、私は待ってるから。……観月くんたちにも流れてるわよね?」

「はい、そういうことだったんですね…。分かりました、ありがとうございます。立花さん。」

さっきの話…もうしてくれたんですね、課長。相変わらず仕事が早い。

「立花さん、ありがとうございます。」

「いいえ、こちらこそよ。また明日以降でよかったらランチしましょ、もちろん鈴原さんも一緒に。」

「はい、ぜひ!」

「良い笑顔ね。その意気よ。」

立花さんは私の笑顔を褒めてくれた後、自席に戻っていった。

そしてその後"Aチーム"は予告通りミーティングに入り、さっき挨拶回り中に起こった出来事も加味して私が他部署に行く際は、チーム内の誰か…もしくは立花さんと一緒に行動するよう取り決めがなされた。

ミーティングの後は、終業時間まで午前のように事務的な作業をしたり、内線の電話が多く鳴ったので…その対応に追われたのだった。


**


仕事帰りに大型書店に立ち寄り、付箋と…営業に居るなら知っておいた方が良さそうな【IT関連の会社の営業マンが知っておくべきこと】という本をパラ読みした上で買って、帰宅した。

――午後8時30分。
夕食を終えて買ってきた本に目を通していると、妹の(ゆい)から連絡がきて、ちょっとビックリした。

「{もしもし、お姉ちゃん?ホント今までバタバタしてて、電話も…しようしようと思って、結局"今"になっちゃったんだけど…。私、実家に戻ってきた。異動先が横浜支店になったから。}」

私たちは生まれも育ちも横浜で、実家はそこにある。
唯の勤め先は全国に支店があるメガバンク〔ミスミ銀行〕。
この3月まで、彼女はその〔大阪支店〕に勤めていた。
社会人2年目、23歳の銀行員である。

「えっ、唯?ビックリした!…"急にどうしたの!?"って思ったけど…唯も異動だったのね。でも1年で異動なんて早くない?理由は?聞いた?」

「{何か1人辞めたんだって、一身上の都合で。それに…。お姉ちゃんの〈PTSD〉も心配だったし。それより、今『唯も異動だったのね。』って言わなかった?お姉ちゃんもなの!?〔秘書課〕からどこ行ったの!?男の人の多いとこじゃないよね!?}」

「私を心配するより、"自分のしたいこと"をやりなさい。」って言ってるのに…。
ホントに優しい子なんだから。

「〔営業〕よ。唯、ちょっと落ち着きなさい。大丈夫よ、私の直属の上司は“白石先生と本条先生の弟さん”だから。…何より先生たちが『うちの弟は信用して大丈夫。』って言ってくれてるから。ところで唯?それはそうと、実家に戻ったはいいけど…鍵はどうしたの?」

「{お母さんから送ってもらったよ。お姉ちゃん、忙しそうだから。……営業!?営業なの!?……まぁ。“白石先生の弟さん”なら大丈夫だと思うけど、何かの機会に会えないかな…。ちょっと心配…。}」

「パリから国際郵便で?……無茶言わないで。課長は私より遥かに激務なのよ?そんな暇ないわ。」

「{そう。『横浜帰るなら唯が持っておいて。』って。……お姉ちゃんがそこまで言うなら日程合わせて会ったりはしないけど、何かあったらすぐ連絡してね。}」

「うん。」

こんなやり取りのあと、しばらく他愛もない話をして…唯との電話を終えた。


この話をしてからあまり間を置かずに、唯と本条課長が対面することになるなんて――。

この時の私たちは…まだ知らない。
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