男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方

14th Data 甥と姪 ◆昴 side◆

「まず1つ目。【“新人”だからといって、担当を持ってはいけない】というような社内規定は無い。だからその心配は要らない。むしろ営業は駆け回って学ぶものだから現場に出られる機会が来たなら、積極的に出ていってほしい。観月たちにも教えたんだが…。経験に無駄はない。」

「はい、私もそう思います!」

「フッ。さすがは“重責の掛かる部署に居た人”なだけあるな、頼もしいよ。……そして、2つ目。姫野さんの初の【受け持ち】になりそうな『infini』だが、あなたは〔営業〕としてはまだ“新人”だ。変に、"一から十の仕事を全部1人でやってみせよう"とか…抱え込む必要はない。分からないことは聞いてくれれば必ずフォローする。」

「はい。」

「ここまでの話で何か質問はあるか?」

「いいえ、ありません。」

姫野さんが、とても嬉しそうな顔を見せてくれた。

「さて。どうする?やってみるか?」

「はい、精一杯やらせていただきます。」

意欲十分だな、よし。
じゃあ、もう一肌脱ぐか。

「…さて、中瀬さん。“私の部下”は非常にやる気を出してくれているようですから、このまま姫野さんに担当していただこうと思います。しかしながら、彼女はこの4月から〔営業〕に配属になった“新人”です。ですから、“指導係"の観月か…私が必ず同行しますことをご了承下さい。」

「もちろんです。本条さん。」

「ありがとうございます。それから、これはこちらの事情ではありますが…。姫野さんの体調の件でお話があります。彼女の〈PTSD〉は男性が原因だという診断が下りています。……中瀬さんのように、“関わり方を肌で感じ取ることができ、距離感を間違えない方”なら…男性でも関われると思いますが、断言できません。それ以外の方には、蕁麻疹(じんましん)等の拒否反応が出ると思われます。あなた以外の男性と彼女が2人きりになる事態は絶対に避けて下さい。また、妬みなどの感情を強く持っている“攻撃的な女性”も同様です。これが、彼女をここへ"営業"に出すための絶対条件です。ご了承いただけますでしょうか?難しいようなら、私が直々にここへ参ります。」

「課長……。そこまで……。」

「承知しました、本条さん。今お伝えいただいた条件は絶対に守ります。」

「それと、もう一つ。これは本当に私共の都合なので申し訳ないのですが、18日に少々大きな案件の仕事が入っておりまして。私の担当ですが、彼女や観月たち…チーム全員同行させる予定で、姫野さんはその日が〔営業〕に来て初めての"外勤"になるんです。その準備等もありますので、18日より前に訪問をご希望の場合は誠に申し訳ございませんが、私が参ります。19日以降でしたら、姫野と観月で伺えると思います。」

「それでは。こちらは急ぎませんから、19日以降で日程を考えて…またご連絡するようにしますね。」

「交渉成立ですね!よろしくお願い致します。……姫野さん、初クライアントおめでとう!ご指名なんてなかなか無いぞ?一緒にしっかりやっていこうな。」

「課長、中瀬さん。ありがとうございます!よろしくお願いします!」

そこまで言った後、姫野さんは改めて〔営業〕として自己紹介をし、俺と同じように中瀬さんに名刺を渡していた。

「“雅姉さん”!初クライアントおめでとうございます!一緒に頑張って初"営業"、成功させましょう!」

「ありがとうございます、“観月さん”。ご指導よろしくお願いします!」

「“姉さん”、おめでとうございます!何かあったら、いつでも相談して下さい。」

「“桜葉さん”、ありがとうございます。いろいろご指導下さい。」

謙虚だなー。本当に。

「“姉さん”、おめでとうございます!僕も頑張んなきゃ!」

「姫野さん。おめでとうございます、鳴海部長と一緒に応援してますよ。」

「鈴原部長秘書、ありがとうございます。」

「姫野さん、初クライアントおめでとう!僕から伝えることは1つ。あなたはきっと心のどこかで"本条課長が話を進めてくれたのだから、課長のお客様なのでは?"と思っていませんか?…本条は、今…"課長"としての役割を果たしただけです。中瀬マスターが担当者に指名したのは、彼じゃない。姫野さん、あなたです。」

「鳴海部長…。」

「本条は、あくまでも新規の顧客に対して"どう営業を掛け、どう顧客として繋げていくか"を…あなたにデモンストレーションとして見せただけです。そして指名してくるからには、こちらの状況や条件も言わなきゃフェアじゃない。劣悪な労働環境へ“自分の可愛い部下”を送れないでしょ?…彼は、姫野さんが働きやすいように環境を整えただけ。だから、“中瀬様”は間違いなく…あなたの“最初のお客様”。自信を持って最後までやり遂げて下さい。良い報告がたくさん聞けるのを楽しみにしたいと思います。」

「はい!必ず最後までやり遂げます!」

さすが部長、俺が伝えたかったこと…全部伝えてくれましたね。

「“本条くん”もお疲れ様、ありがとう!いや、でも。さすがだよ。まだまだ"腕"は鈍ってないね!」

「恐縮です、鳴海部長。」

「最後の、鳴海さんの言葉で本当に場が締まったね。…お2人が、どれだけ“仕事ができる上司”か見せてもらいました。……ただ、申し訳ありませんでした。アフターファイブにお仕事の話をお客様にさせてしまうなんて…。姫野さん、ごめんね。今からは本当にゆっくりしてね。」

「いえ、こちらこそ貴重な経験の場をいただけて感謝しかありません。ありがとうございます、中瀬マスター。」

姫野さんと中瀬さんのそんな会話に、密かに癒されていたら――。


――午後7時20分。

ヴー、ヴー、ヴー…。

あぁ、姉さんか…。

「姉さんだな…。悪い、ちょっと席外す。」

「いってらっしゃい、昴。」

“鳴海先輩"の陽気な感じの物言い…なんか今はムカつくな。


――リンリン。


「あら?(りつ)くんが白衣着てるじゃない。もしかして、雅ちゃんに何かあった?」

「“りつにぃ”〜!…あっ!“みやびおねえちゃん”!…ママがたすけにきたから、だいじょうぶだよ。いやなこと…がんばりゅんでしょ?」

…あっ!花純(かすみ)、慌てて行ったら転ぶって…!

「あっ!花純ちゃん、久しぶり。待って待って、走ったら転んじゃうよ。おケガしたら大変。“お姉ちゃん”が花純ちゃんのところに行くよ。…ママから聞いたの?…うん。頑張るよ。ごめんね、ママと寝たかったよね?」

「だいじょうぶだよ。あさは『おはよう。』っておこしてくれるって!"おやくそく"したから。」

「そっか、ママも花純ちゃんも優しいね。“お姉ちゃん”嬉しいな!」

あっ、姫野さん。ありがとう。

「花純、走ったらダメだよ。ケガしたら、パパも“花純の大好きなすばにぃ”も泣いちゃうぞ?…ご無沙汰しております、姫野さん。ありがとうございます、花純を上手く受け止めて下さって。」

「いえ。とんでもないです、白石さん。」

「ごめん、奏士(そうし)義兄(にい)さん。出遅れた。……姫野さん、ありがとう。」

「いえ。課長、大丈夫ですよ。」
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