夜叉の恋
* * * * *


初夏とは言ってもまだ肌寒い夜。

堂の中で暖をとるように小さな体を丸めて眠っていた寧々を起こしたのは、ふわふわと宙を漂う青白い光の玉だった。

宙を漂う青白い光の中ーーと言えば、大抵の人間が思い浮かべるのは人魂で。

信仰心が余りない寧々もそれは例外ではなかったらしく、思わず小さな悲鳴を上げながら飛び起きた。

不規則に揺れる光の玉がぼうっと寧々の顔を照らす。

闇の中で漂うその様は、何処か首を傾げているようにも、手招きをしているようにも見えた。

しかし、普通ならば不気味に感じるであろうその光景は寧々には不思議と恐怖を感じさせない。

寧ろ哀しげなその光の玉に、寧々は自ずと語り掛けていた。


「ねぇ。……あなたは、何がそんなに悲しいの?」


何故寧々が目の前の光の玉に“哀しげ”だなんて思ったのか……真っ直ぐに見つめる栗色の瞳は、気遣うような優しさを見せている。

口のない光の玉。

そもそも、意思があるのか否か……。

当然返ってこない答えにも、寧々はにっこりと笑って返した。


「……付いて来て、って言ってるんだよね?
うん、いいよ。ちょっとだけなら」


ちょっとだけで済むはずがないーーと、そんな発想は生来寧々にはない。

疑う素振りもせず自ら立ち上がると、「静さんが戻るまでだよ」などと人差し指を唇に宛がう。

そして何が楽しいのかくすくすと笑うと、光の玉を誘って夜の森へと飛び出した。

夜風に冷え切った草木を踏み締める軽快な足音。

光の玉の明かりを頼りに示された通りの道を早足で抜けて行く。

静さんに怒られちゃうかな、と頭の隅で考えながらも幼い娘、それも長い間閉塞的な世界で暮らしてきた彼女の好奇心は止められない。

もっと今より幼い頃、父と母の目を盗んで、このくらいの時刻に家を抜け出したことを思い出す。

そして、幼馴染で一番仲の良かったタスケと一緒に夜の森で遊んだんだ。

勿論見つかって父に張り手を頬に食らったけれど、何だか無性に楽しくてわくわくしたことは思い出すだけでにやけてしまう。


懐かしいな。

またタスケと、こうして悪巧みをして遊びたい。


今隣にはいない友達を想って、寧々は夜の森を走る。

独りぼっちになって、どんどん体が大きくなって。

それと同時に大人が危険だと言うものが、自分まで恐ろしく感じるようになった。

前は平気だった毒蛇も、今では余り近付きたいとは思わない。

足が着かない深い川は平気だけど、流れが急な川は少し怖い。

夜の森だって、今この時までは、昔みたいに平気で遊び場にすることなんて出来なくなっていた。

ーーだからだろう。

まるで昔に戻ったような気がして、高鳴る胸の音が五月蝿くて気付かなかった。

夜の森は危険だ。

闇に潜むのは人ならざるもの。

太陽の下で生きる人間の領域ではないーー。

幼い人の子には、まだそれは分からない。


ーー気付いた時には既に遅い。


四方を囲む無数の気配に、先程まで高鳴っていた心臓は凍り付いた。

< 26 / 41 >

この作品をシェア

pagetop