警備艇乗船前の電話
?からの電話

妻,発見!

 日曜日の昼に,ブランチを終えて少し食べ過ぎたかな?と心配していると,私のスマホに局番なしで電話がかかってきた。

「もしもし,どちらさま?」
「だれでもいいから,おれの言うことを聞け!何も聞くな。これから大事な話があるから」
「大事な話ってなんですか?それに,お宅誰?」
「いいか,とても大事な話なんだ。おまえ,いま離婚しようとしているだろう。それは止めた方がいいぞ。そのまま今の嫁との結婚を続けろ。離婚なんてとんでもない。いいかそれはおまえのためなんだ。おまえは栄子さんと離婚してはいかん。おまえたちの生活はすでに15年にもなるんだ。それに子供もいるんだぞ、可愛い一人娘だ。離婚なんてあり得ないだろう。」

「ええ,たしかにぼくらは結婚生活15年になるし,妻の名前は栄子だけど,どうしてそれを知っているんですか?」
「いいから,とにかく一生の後悔にならないように,離婚届けを明日弁護士に渡すのは止めるんだ。いいな分かったな」


「はい,分かりました。」
と電話の相手の勢いに押されて,「はい」と素直な言い方で答えてしまった。私が「はい」と答えたところで,ツーツーと音が鳴った。 

 翌日は,確かに弁護士と面談の約束をしていた。「はい」と答えてしまった手前,キャンセルして休みも返上し,勤務先の海上保安庁対馬本部に出勤した。
 私は、高校を卒業してすぐに海上保安庁に入庁した。一谷良太。33歳。今は離島対馬の対馬海上保安部に勤めていている。4日に1回は船上勤務として、丸一日船で暮らしている。妻の栄子と一人娘の百合恵は福岡市内で暮らしている。私がローンで作った一戸建てに母娘二人で暮らしている。
 
 私は,「お告げ?」の電話に従って,弁護士に離婚届を出しに行くのを取り敢えず,止めた。
 ところが,幸か不幸か,休みを返上して対馬海上保安部に出勤してみると、夜勤当番に加わることになった。今日は、密漁の警戒勤務のため、巡視船上対馬丸は、10名で乗り組み、対馬周辺と対馬中央部の淺生湾を巡回警備することになっている。
 
 中国や韓国からの夜間の密漁は増えたため、月に10日は夜間の密漁警戒巡視がある。しかし、実際には密猟者を発見して追尾することは年に4回から5回しかない。今日は波が高くて密漁船も韓国から出航してくる可能性は低い。おまけに、今日の勤務者のメンバーはこれまで一度も密漁船に出くわしたことがない。だから、今日も来ないだろう。だから、ゆっくりと勤務しながら、昨日の電話が誰だったのか、そして今後、妻と離婚したらいよいか考えることができる。揺れる船内というのは、ものを考えるには最適なのだ。
 
 私は、上対馬丸で、機関長をしている。エンジンルームにいるよりも、甲板デッキにいることが多い。午後9時,これまでのところ何もなく,波頭4メートルの対馬周辺を巡回している。
 「左前方異常なし,ソナー,GPS異常・・・ああ,ちょっと変です。」
と二等航海士が言った。
 「なんだ。」と船長が声を上げながら,GPSに近付いた。
 そして,中村船長はGPSを覗きながら,「おい,これは密漁じゃないか?」
「はい,でしょう。近付きます。」
とこのメンバーで始めて起こった緊迫した場面に対処しようとした。
 僕は,「どうせ,そのポイントに近づいたら,密漁者は逃げているに違いない」と主ながら,密漁者を捕まえるためのウェットスーツに着替えた。
 僕のいる場所から,看板デッキまでは鉄板1枚隔てた下方の待機室にいた。突入メンバーは5名だ。ただ,密漁船を見付けても密漁船に突入する場面にはなかなかいたらない。密漁船はエンジンを8気筒にしているなど馬力をアップしていることが多く,停船させて,相手線に乗り込むまでに至らないことが多いからだ。
 午後10時,現場に近づいた。密漁者に見つからないように,エンジンを低速にしてさらに接近していく。
 「目的船まで目測500メートル,各員突入態勢を取れ」 
 船内に緊張が走る。僕らも迷彩服に身を包み暗視ゴーグルを目にはめて,甲板にで周囲を警戒した。400メートル先に薄明かりで船上でうごめく人がいるのが,暗視ゴーグルを通して見える。
「このまま気づかれなければ,捕捉できるな。」
と突入部隊の隊長がつぶやいた。隊長は他所で実戦経験がある。私はない。経験は訓練だけだ。

「目的船まで目測100メートル,総員配置に付け」
船内放送で船長の声が忍びやかに響いた。さらに,緊張が高まった。私の心臓が高鳴り,心臓の音が船内に響いているような気がして仕方が無かった。
 『そろそろ相手も気がつくだろう。この艦は小粒とは言いながら,巡洋艦だから近付けばすぐに分かるだろう』
と思いながら,実はそろそろ密漁船には逃げ出して欲しかった。
 あと1分以内に密漁船が逃げなければ,いよいよ突入が始まるだろう。
 
 今頃,一人娘の百合恵はどうしているだろう?栄子のことは全然頭に浮かんでこないが,娘の百合恵のことは気になって仕方が無い。栄子があんなことさえしなければ,そして前と同じように転勤先の僕の宿舎に着いてきてくれていれば,いつも百合恵と会えたんだ。
 
 それもこれも,栄子のせいなんだ。私の離島勤務に付いてこないから。栄子さえいなければ,もしかしたら,百合恵は私に着いてきてくれたかもしれないんだ。そうさ,みんな,栄子が悪いんだ。結婚する前は,調子よくって「あなたが行くとこなら,どこでも着いていくわ。離島って子供の健康にはいいってよ。こどもは自然の中でたくましく育てたいわね。」って言ってくれていたくせに・・・

 ”それにしても,あの電話の声は誰だったんだろう?”

 こんなもっとも緊張しないといけない場面であるというのに,いま直面していることに全く集中していなかった。
 ”いや,大丈夫さ,本当に始まったら嫌がおうでも密漁者との戦いだけを考えるさ。そうでないと,大けがするかもしれないし,もしかしたら,私が命を落とすかもしれないんだから。”

 北対馬丸はゆっくりと止まった。

「おいおい,この船が止まっただと。密漁船は逃げてないのか。本当に密漁船に乗り込んで制圧しないといけないのかよ」
と私はちょっとやけな気持ちになっていた。しかし,船内の雰囲気は,いつの間にかピーンと張り詰めた動物的なものに変わっていた。

「甲板に出ろ。配置に付け。ゴーで開いて船に突入だ。」
 山本副船長の指揮する怒鳴り声が聞こえた。私たちの現場指揮者は,山本副船長だ。

 10秒,20秒と待った。
 。。。。
 。。。。
 。。。。

 それは,闇から闇へと速やかにしかし抜かりなく,訓練を重ねたハンター犬が,たった一人の飼い主の号令のとおりに的確に動いた。
 あっという間に,4人の密漁者を逮捕した。
 4人の密漁者は,密漁の経験が少ないらしく,ことのほか大漁だったために,日本の海上保安官の忍び寄るのに気づかなかったらしいのだ。

 密漁者の取調べは,ほかの部署の者に任せて,私は翌日の11時にようやく対馬海保から逃れることができた。また,職員宿舎までの細い道をトボトボと歩きながら,「あの電話は誰だったんだろう。口ぶりからすると,親父みたいだったけど」と考えた。

 親父は私が20歳のときに病死していたから,あり得ないなあ。じゃあ,栄子の父さんか?いやあ,元々俺のことは嫌いみたいで,結婚以来電話をもらったことはない。
 
 第一,私の携帯は1年前に番号を変えたから,義父がこの番号を知っているはずがない。誰だろう。そして,なんで,「離婚しそうだ」と知っていたんだろう。






 
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