コーヒーを一杯


十ヶ月もお腹の中で大切にしてきて、生まれた瞬間には目に入れてもいいくらいに愛しくて、何度も何度も頬ずりしキスをした。
はいはいができるようになって、掴まり立ちができて、少し言葉が話せるようになって、会話ができるようになって、走れるようになって、上手に絵が描けるようになって。
自転車にだって補助輪なしで乗れるようになった。

お母さん、お母さんって言われるたびに、なんでもしてあげたい気持ちになった。
今日子って呼びかければ、いつだって愛らしい笑顔を向けてくれていた。
その笑顔が大切で、尊くて、何度も何度も抱きしめた。

それだけでよかったはずだった。

なのに、いつの間にか私は娘に沢山のことを望んでしまっていたのね。

無理に塾通いをさせて、家庭教師まで雇い。
友達との遊ぶ時間も削って、観たいテレビも我慢させ。
娘の思いなど訊きもせず、ただ周囲に影響された私の願望を押し付けていたに過ぎないじゃないの。
旦那には、娘と向き合っていないなんて思いながら、そうできていなかったのは私のほうだ。

いつからだろう。
今日子の視線に合わせて姿勢を変えなくなったのは。

いつからだろう。
背中に向かって遠巻きに声だけかけるようになったのは。

いつからだろう。
顔と顔をつき合わせて話をしなくなったのは。

いつからだろう。
今日子に触れなくなったのは。

抱きしめてあげなくなったのは……。


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