南柯と胡蝶の夢物語

6,死生有命

6,死生有命

紗良里が怪我をしたのは、誰でもない自分のせいだ。
誰がそう言ったわけでもなければ、世間もそんなことは意識していないのだろうが、少なくとも穂月はずっとそう思っていた。
あれは、学校帰りのことだった。
本来は施設の大人が迎えに来て、濁花の子ども達はバスの中に収容されて帰るのだが、バスが来る前に二人で学校を抜け出して街に行こうと考えた。
それで、紗良里に優しいおじさんやおばさんがいる昔ながらの商店街や、綺麗な夕焼けを見せてあげようと思ったのだ。

今思えば、穂月はどこか濁花を甘く見ていた部分があったのかもしれない。
既に中学三年生の彼女達は小学生以来の付き合いで、多少の濁花の発作に慣れていたというのもある。
突飛な行動も慌てずに抑えることができたし、突然彼女が妄想の世界に入ってもちゃんとこちら側に引き戻すことができた。
しかし、そんな慣れというものはいつか確実に落とし穴になるのだ。


踏み切りが閉まる音がした。
カン、カン、カンというどこかにありそうなのに特徴的ですぐにそれと分かる音だ。
黄と黒で塗られたバーがゆっくりと下がり始める。
その手前で、当たり前に二人は立ち止まった。
日は傾き、線路のある景色を赤く染め上げる。
夕焼けだ。
紗良里に見せたかったもの。
綺麗だねえ、と二人で言い合った。
紗良里の目は夕焼け空が映って輝いていてとても綺麗だった。
赤い二つのランプが交互に点滅していた。
商店街にも寄り道できて、練り物屋さんで切れ端をもらって食べながら歩いてきた帰り道。
とても幸せだった。
右の方から少し聞こえる電車の音に耳を傾けながら、たった数十分に至福を感じる。

その時だった。
紗良里は唐突に走り出し、バーを飛び越えて線路を横切り始めたのだ。
聞こえてくる電車の音はどんどん近づいてくる。
紗良里は、こんな時に限って発作を起こしたのだ。
濁花の症状の中でも問題視されている、唐突に突飛な行動を起こす発作を。
穂月が慌てて声をかけようと息を吸い込むと、紗良里はこちらを見て虚ろな瞳で「ママ」と呟いた。
声が聞こえたわけでもないのに、穂月には確かにその言葉が伝わっていた。
一瞬、頭が真っ白になる。
穂月が動けなくなったところで、目の前を電車が通り過ぎようとしていた。

紗良里の白いワンピースが電車の小さなタイヤに巻き込まれる。
ぐしゅり、と肉が千切れる音がした。
タイヤに巻き込まれるかたちで、小さな紗良里の身体は鮮血とともに弾け散った。
衝突などではない。
その大きな電車という物体に潰されるという形で、身体が不自然に曲がってぐしゃぐしゃになっていたのだ。
赤い、赤い赤い紗良里の右腕は異様に短くなっているように見えた。
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