私Note
学校のを発展させて
日常に取り入れてみる。
そういうところでは、
学校に行く意味があるのだろうね。
好きなことを学ぶ、
大学では深いところまでその専門的なところを問い詰めて。
研究に近い。
独学でも出来るね。
ただ、強い意志がない限りは途中で断念かな。
それに、そういうのって、底つきないような感じがする。
だから、学問は楽しいっていう人もいるのだろう。
問い詰めて追い込んで問い詰めて……その先、何があるんだろう。
知って何になるのだろう。
何が残るのだろう。
怖くなる人もいるかもしれない。
日常に活用する人がいる。
仕事で用いる人もいれば、世界で役に立つのを発明する人もいる。
研究する人もいる。
勉強は孤独だとも思う。
集団だ、助け合いだ。
確かに、意見交換をする場では共同作業は必須だし……でも、それは自分の考えがなければ言えないような気もして。
自分の考えを形成させるにも、普段から考えることは止めてはいけない。
それでも時には、思考をそのことにそれ以上かけてはドツボにはまって脱け出せないこともあるから、止めては良いとは思う。
考えすぎも、良いとはいえない。
考えなさすぎも、危ないけどね。
ちょうど良いくらいにできないや、自分。
何もならない、残らない、あなたにとって今はそれが意味をなさない結果になっても。
無駄ではないだろう。
あることを考えること。
失敗して、どうすれば良いか、次は……?って学んでいったり。
その物事の判断基準くらいには、なっているだろう。
形にならなくても。
時間はかかるだろうけれど、後々力に、あなた自身の栄養になると思うから。
だから、もう少しだけ。
踏ん張ってみよう。
上手く結果が出なくても。
私も、人のこと言えない。
失敗しながらもひねくれても最終的には、再挑戦しよっと。
なんてことを、料理を少し手伝って、出来ることをしてみて思った。